支援途絶、「神に祈る」 復興はまだら模様 チアンジュール地震から3カ月
昨年11月に起きたチアンジュール地震から3カ月が過ぎた。復興状況を取材しようと現地入りすると、無人の仮設テントが目立ち、商店が営業を再開するなど明るい空気もあった。被災地再建は急ピッチで進む印象を持ったが、住民に話を聞けば政府の支援は実質的に途絶。1月には民間支援の引き上げも始まった。復興支援金も支給された形跡はなく、低所得者層の暮らしはあの日のまま、止まっているかのようだ。
土砂崩れが起きて多くの住民が犠牲になったチアンジュール県チュグナン地区。村の大半は土砂の中に消え、斜面に残った家屋も全損状態にあり、政府は「廃村」を決めた。地区に通じる道は軍が封鎖。村民は仮設住宅に移住させるという。
「3日おきに届いた政府の支援物資も今は週に1回。しかも即席麺などはなくなり、塩だけとか砂糖だけとか……。これでは生活は成り立たない。まして2人の乳幼児に何を食べさせればいいのか……。仮設住宅への移転通知はあったが、進展はなにもない」
半壊したチュグナン地区にあるアル•フィルダウス・モスクの敷地内で暮らす5児の母、ヌン・ムスティカさん(37)はこう訴えた。親戚から借金をするなど生活再建に動く隣人もいるが、「地震で夫を失い、ただただ神に祈り、支援を待つ日々」という。
震源のほぼ真上に位置するチアンジュール県ガソル村に行ってみた。想像に反し、当日は大雨だったにもかかわらず、仮設テントに人影は少ない。日用品や軽食を売る商店なども再開しており、店主のアニさん(30)に話を聞いた。
「店は2週間前に再開したばかり。ガソルの村民は移住を拒み、支援金で自主復興を目指している。ただ、政府の支援金は地震から3カ月が過ぎても支払われない。見通しもわからない。だから、自分たちでやるしかない」
こういってアニさんは苦笑したが、チュグナン地区と同様、復興はまだら模様だ。経済力のある世帯は生活の再建を進め、低所得者層は自力解決を迫られて途方に暮れていた。
プンチャック峠に近い被災地で粥を売るカキリマ(移動式屋台)のサニアさん(18)は、父親を失って母親も病に倒れた。2人の妹を養うため、1日30万ルピアで屋台を借りて粥を売っている。
「1日30~150杯売る。タイヤはパンクして移動できないから、震災で空き家になった民家の軒先が私の仕事場なの」
粥は一杯7000ルピア。30杯では屋台のレンタル料も払えない。そこで自作した看板を空き家の軒下に掲げると、客足が一気に増えた。「今はなんとか食べられるけど、明日はどうなるかわからない」と表情は曇る。
大盤振る舞いした政府の被災者支援策は一向に進まず、地元首長は支援物資の横流し疑惑を持たれて司直の手に落ちた。それでも被災地では、人生のどん底を味わいながらも、強くしなやかに生き抜こうとする人々に出会う。
「チアンジュールには地震もあったが、神と自然からいただく恵みもある」。半壊した自宅に筆者を招き、そういって山盛りの果物を土産にくれたガソル村のヤティさん(61)の笑顔が忘れられない。(長谷川周人、写真も)