異質の空間に宿る歴史 変貌するファタヒラ広場 コタ・トゥア再開発
オランダ東インド会社の拠点となった旧市街区のコタトゥア。コロニアル様式の建物が多く残るジャカルタ屈指の観光スポットだが、コロナ禍の中で静かに再開発が進められてきた。この異質の空間に宿る歴史を21世紀のインドネシアはどう表現するのか? 生憎の天気となった2日、夜明け前に訪ねてみた。
北ジャカルタにあるコタトゥアは、いわばベイエリアにある。交易で栄えたオランダ統治はこの地から始まり、350年におよぶ植民地支配が続いた。その中枢となったファタヒラ広場には、南側に市庁舎(現在のジャカルタ歴史博物館)、東側は裁判所(同・絵画陶磁器博物館)、北側に郵便局がある。お隣は言わずと知れた超有名店のカフェ・バタビアだ。
夜明け前としたのは、いくつか理由があった。まず行動規制の解除でどっとくり出す観光客がいない静かな時間帯に。もうひとつは、撮影機材で一工夫してみた。業務で使うニコン機ではなく、今回はプライベート用の富士フイルムの写真機。半世紀ほど前にジャカルタに暮らしたあの日々も、父親譲りの富士フイルムのレンジファインダーカメラを使っており、懐古趣味に浸るという趣向だ。
勢いに乗じてもうひとつ、便利なズームレンズではなく、持ち出したのは焦点距離が固定される単焦点レンズのみ。広角と中望遠の2本縛りとした。趣味の世界の話になるがこれが楽しく、憂うつな曇天も眠気も吹き飛ばしてくれた。
さて、話をファタヒラ広場に戻そう。行動規制の緩和もあり、早朝マラソンを楽しむ人が多い。コタ駅に通じる道が取り壊されて広場に変貌しており、華人系のタンさん(41)も「安全なお気に入りの周回コースができた」と満足げだ。
一方、猫を従えて旧市庁舎前でたたずむ初老の女性は浮かぬ顔。夫と駅前で屋台を出していたが、再開発で州政府から広場内で営業するようを指示された。「ところが、広場は出店料を支払う必要があり、しかも私たちの出店は週末限定となって売り上げが激減。ようやく観光客が戻ってきたというのに……」と頭を抱えていた。
再開発プロジェクトを指揮したのはアニス・バスウェダン前州知事。事業化に向けて昨年4月、「コタ・トゥア再開発はバン・アリが数十年も前に提唱した」とあいさつした。バン・アリとはジャカルタの都市基盤を作った国民的英雄、故アリ・サディキン知事だ。
遺志の継承を宣言したアニス氏はこうも言った。「目指すのは単なる観光地開発ではなく、雇用を生み出す経済体系の構築だ」。アニス氏は昨年10月に知事職を退任したが、次期大統領選に出馬する意向を示している。再開発もまだ道半ば。とすれば、屋台で生計を立てる前述の女性たちも豊かに暮らせるコタ・トゥアにさらなる変貌を果たし、植民地時代の清算に期待したい。(長谷川周人、写真も)