陸自が深めた信頼と友情 ボゴール県 国軍PKOセンター

 国道を外れると道は一気に急勾配となり、沿道には国軍の関連施設が立ち並ぶ。目と鼻の先にはジャカルタ・ジャパンクラブ(JJC)のグラウンドやゴルフ場もある。だが、一帯の施設には武装した歩哨が立ち、木々のすき間からは軍用車両が見える異質な世界が広がる。国連平和維持活動(PKO)に加わった陸上自衛隊の支援部隊——。彼らの拠点となった国軍PKOセンター(PMPP)はその一角にあった。            

 「新型コロナのパンデミック(世界的大流行)が山を越え、ミーティングが増えて大変だよ」。出迎えた副センター長のヘル准将は、早朝ジョギングで一汗かいたところだった。標高は約400㍍。南東側にプンチャック峠も見える。施設には爽やかな風が抜け、私的経験になるが、ハワイにある緑に囲まれたヒッカム米空軍基地の士官用居住区を思い出した。
 しかし、PKO協力で派遣された陸上自衛官27人にとっては、国際貢献のため力を尽くす任地。PKO要員の技術不足を補う国連三角パートナーシップ・プログラム(UNTPP)の支援国として、国を背負っての重要な任務があった。ましてUNTPPをインドネシアで実現するのは今回が初めて。教官団長を務めた豊田剛至2等陸佐率いる支援部隊にとり、国軍と信頼、そして友情を育む場でもあった。
 約9週間の滞在では、11月に中央アフリカ共和国にPKO派遣される国軍工兵20人に対し、重機の操縦や整備の方法を訓練した。ブルドーザーで土掘りや土盛りを行い、ロードローラーで地面を固める。本来は陣地の構築や渡河など戦闘部隊を支援する任務だが、PKOでは道路や港湾施設の整備といった復興活動の中核的な業務となる。
 しかし、日イ間で初めて実現したUNTPPが残す真価とは、「ワンチームを作ることに成功したことにある」とヘル准将は言い切る。
 「尊敬し合うことを気をつけた。中央アフリカへの派遣が終了しても役に立つ知識を身につけただけでなく、習字やけん玉などの文化交流も楽しかった」
 訓練を修了した国軍工兵のラハマン士長は笑顔で言う。対する教官団の小田泰久3等陸曹は「押しつけないこと。やり方や考え方はインドネシア側に合わせた」と応じる。江平大樹2等陸曹も「インドネシアの人たちはすごく暖かい。何事にも一生懸命だった」とエールを送った。
 こんな和やかな部隊間の交流に目を細める豊田教官団長は、「文化の違いは現地に来てみないと分からない。そこのすり合わせを今後、派遣前に経験者たちから語り継ぐ必要がある」という。今回の任務で深めた友情と信頼を将来の両国間の防衛協力につなげていくことが大切だ。
 帰り際に佐藤真1等陸尉が8月に行われた開講式でのエピソードを話してくれた。「私は防大卒業生ですよ」。国軍の特殊エリート部隊の1人がしっかりした日本語でこう耳打ちし、防衛大学校(神奈川県横須賀市)での留学生活を懐かしそうに話してくれたという。
 来年のUNTPPからベトナムやタイなども加わり、国軍PKOセンターは東南アジアの安保を担うハブ的な訓練施設となる。ここに最初のくさびを打ち込んだ陸自教官団。任務を終えて9日に帰国したが、真価が問われるのはこれからなのかもしれない。 (長谷川周人、青山桃花)

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