二重被災の悲劇 住民に残る津波の残像 バンテン州
「トラウマ」という言葉を繰り返し耳にした。バンテン州南西沖で1月14日に発生した地震の被災者たちの声だった。私たちにとってインドネシアにおける地震の被災地取材は初体験。トラウマの意味がにわかに理解できなかったが、被災地は3年前のスンダ海峡津波で木っ端みじんとなった村々でもあった。
バンテン州パンデグラン県。2018年12月22日のスンダ海峡津波が襲い、県北部の村々が甚大な被害を受けた。
同じ被災地でも、リゾート地のアニェル海岸やムラック港を抱える州北西部のセラン県とは違い、南西部のパンデグラン県には貧しい過疎地域が広がる。物資輸送の生命線となる国道3号線も途中から未舗装路となり、被災地は首都から最も遠いまさに〝陸の孤島〟と化した。
「支援物資の到着は遅れに遅れ、マアルフ・アミン副大統領の視察もキャンセル。津波で国道が寸断され、被災地は孤立した」
同県スムル村の被災者救援センターで働くママンさん(40)は、当時の状況をこう振り返った。そして「津波から3年が経過したが、多くの村民は生活基盤を失ったまま。津波への恐怖というトラウマだけが残った。論より証拠。仮設住宅を見てほしい」と訴える。
ママンさんの指示で案内された仮設住宅は、海岸から1キロ近く内陸の山腹にあった。ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領が打ち出した被災者救援策の一環で、223戸が発災から3年目にして完成。津波で住居を失った住民が昨年11月、ようやく安住の地を手に入れることができた。
間取りは1DKで約36平方メートルと見た目には十分な広さがある。ところが、炊事場に水道がない。屋根も薄っぺらなトタンだから、日中は室温がぐんぐん上昇する。
「しゃく熱地獄もあるけれど、屋根はくぎで仮止めしただけ。強風で吹き飛ぶこともある。そして街灯がないから夜は真っ暗。岩盤を削って整地した土地だからごみは埋めることができず、放置するしかない」
不満を訴えるのは乳幼児を抱え、妻と仮設住宅に入居したパフルさん(38)。「津波で両親を失った。漁師だったが失業し、生活基盤も失った」と肩を落とす。
取材を進めていくと、被災者に請求される電気料金の異常な高さに驚いた。めぼしい家電は電灯ぐらいしかないが、それでも月の請求額は35万~50万ルピア。「なぜ高額なのかなんの説明もないが、送電線は真新しく、敷設費用が上乗せされているとみんな理解している」(パフルさん)。
自然災害の被災地に大統領ほか政府要人が視察し、スンバコ(生活必需品)を配る様子が地元メディアが伝える。しかし、仮設住宅を見る限り、被災者に寄り添った支援にはなっていない。実状を取材するのが仕事だが、なんともやるせない2日間だった。(センディ・ラマ、長谷川周人)