イスラムに息づく支え合い 中央ジャカルタ コロナ禍の犠牲祭ルポ
新型コロナウイルスの感染拡大に収束のめどが立たないまま迎えた、7月31日の犠牲祭(イドゥル・アドハ)。コロナ問題に端を発する経済停滞が庶民の暮らしを直撃するなか、人々はどのような思いで、この大祭に臨んだのか。中央ジャカルタ・タナアバンで、その様子を取材した。
「危ない、下がれ!」。押さえつけるエディさん(45)ら5人を振り払い、雄牛が立ち上がった。その喉元はぱっくりと裂けているが、ナイフが動脈に至らず、命を絶ち損ねた。この日と殺した、10頭目の牛だった。
脚に再びロープをかけようとする男たちに、牛は死に物狂いで後ろ蹴りを繰り出す。牛の頭部と床をつなぐロープは緩み、今にも解けそう。男たちの目は血走り、見守る群衆に緊張感が走る。会場は騒然とした。
しかし、牛の抵抗は長くは続かなかった。暴れれば暴れるほど、牛の体から血液が失われ、動きは次第に鈍くなる。エディさんが近づき、首にナイフを突っ込むと、喉笛を切られた牛は断末魔すら上げられぬまま、乾いた音を立てて崩れた。
人間よりも力で遥かに勝る牛に、チームワークと刃物という〝文明の利器〟で挑むさまは、大昔の狩猟を思わせた。命をいただき生きるという、人間本来の営みを見せつけられたようで、目頭が熱くなった。
エディさんらは、西スマトラ州アガム県バリンカの出身。毎年、同郷出身者から家畜の寄付を受け、自分たちでと殺し、仲間に分配している。今年は新型コロナの影響で、寄付される牛の数が半減したというが、それでも12頭が集まり、2千人分の肉を用意することができた。
普段はタナアバン繊維市場で布屋を営んでいるというエディさんだが、「牛のと殺も毎年やってるから、もうプロみたいなもんだ」。
と殺された牛は4、5人がかりで体をひっくり返しながら皮を剥ぎ、おので四肢を分断。その後は室内で切り分けられ、スーパーマーケットで見かけるような食肉へと変わっていく。
作業が続く傍ら、会場周辺では出来たてのルンダン(牛肉とココナツミルクの煮込み料理)が振る舞われた。ほふったばかりの牛肉は柔らかく、ワルン(屋台)で供される作り置きのものに比べると、がっつり効いた香辛料が病みつきになる。言われるがままにおかわりしてしまった。
「本業はコロナでさっぱりだ。だけど、こういう時こそ、イスラムを大切にしたい。こうして今年も犠牲祭を迎えられた。必ず乗り越えられる」。ルンダンを手でかき込みながら、エディさんがつぶやいた。新型コロナ問題はいつ収束するとも分からないが、イスラム教に息づく支え合いが、人々の心の柱となっている。(高地伸幸、写真も)