刑法改正めぐる政治攻防
国会が大きく荒れそうだ。その火種が刑法改正法案である。振り返ると、国会は2019年の汚職撲滅委員会法の改正、20年の雇用創出法、そして今年1月の首都移転法という重大な立法作業を審議不足という市民社会の批判をよそに急ピッチで進め、大規模な抗議デモを招いた。この刑法改正法案も、世論の反対を押し切って可決する懸念が高まっている。
刑法は、オランダ植民地時代に導入されたもので、その時代遅れの刑法を改正する必要性については、政府と市民社会にコンセンサスがある。問題は何を改正すべきかで、市民社会側は、現代の民主主義社会に即した人権を尊重する刑法に発展させるべきだと考える。逆に政権側は、極力、批判勢力に対する締付けを正当化する法的根拠を残そうと考える。
この間の溝が埋まらず、刑法の改正が長年に渡って頓挫してきた。19年に改正案が国会に提出されたが、学生デモの猛烈な抵抗にあって、政府は法案の取り下げを決めた。
それから3年。政府は先月初めに再度改正案を国会に提出した。再提出について、「昨年来、市民対話で得たインプットを反映させて時代遅れの14事項を削除した」と強調する。この改正法案を今月からの国会会期で審議して可決する予定である。
しかし、提出された法案は、市民社会勢力の期待とは大きくかけ離れている。とりわけ問題視されているのが218条・219条・240条・241条に示される大統領、副大統領、そして政府に対する侮辱に関するもので、それらの名誉と尊厳を傷つける行為に対して、3年半(サイバー空間での行為だと4年半)の禁固刑を課している。
政府は、「公共の利益」に沿った「批判」は「侮辱」には当たらないとして、言論の自由は確保されているとアピールしている。とはいえ、誰がどういう基準で、市民の政府批判が公共の利益に合致すると判断するのか。そこは解釈次第で如何にでもなる。この曖昧さを武器化しようという狙いが透けて見える。
また、256条では、許可を得ていない抗議デモが暴力行為に発展したり、「公共の利益」を損じた場合、6カ月の禁固か1千万ルピアの罰金を命じている。さらに263条では、社会不安を煽るような偽情報を吹聴することを国民に禁止している。
これらの理屈はわかるが、実際には誰がどういう基準で「公共の利益」や「社会不安」を判断するのかが極めてファジーだ。これも学生デモや労働集会や環境保護団体などが抗議の呼びかけを行ったり、治安部隊と小競り合いになること自体を「犯罪化」しかねないとして、市民社会勢力は条項の削除を求めている。
地元誌「コンパス」の世論調査では、回答者の89%が刑法改正について知らないと答えている。こういう状況で、国会のリーダーたちの本音としては、政府が作成した改正案を、こっそり目立たないように審議し、早期に法制化してしまいたいのだろう。
国会議席の約8割を政権与党が牛耳っているため、政府の意向に反して法案が批判的に国会で審議されるとは考えにくい。そうなると、やはり過去数年の例に見るように、この法案も国会でスピード可決され、それに怒った市民社会勢力が大きなデモで抵抗するという展開が、夏から秋にかけて待っているのかもしれない。(本名純・立命館大学国際関係学部教授)