沖縄と結ぶ交流
クナパくん 沖縄が本土復帰50年の節目を迎えたんだって?
記者 50年前の1972年5月15日、米国との沖縄返還協定が発効し、沖縄の施政権が日本に返還されたんだ。クナパくん、よく知っているね。
クナパくん インドネシアと沖縄は昔から交流があったからね。
記者 あっそうか、13世紀末から16世紀初頭にかけて、ジャワを中心に栄華を極めたヒンドゥー教国家のマジャパヒト王国は、琉球王国と交流があったんだね。
クナパくん マジャパヒト王国から琉球王国に使節団を9回にわたって派遣した記録も残っているそうだよ。
記者 そういえば、6年ほど前にインドネシア・マジャパヒト・コミュニティが企画して、当時の木造帆船を再現した「スピリット・オブ・マジャパヒト」号を建造。ジャカルタから1カ月かけて沖縄への大航海を成功させたよね。
クナパくん よく船の資料が残っていたね。
記者 世界遺産ボロブドゥールに同帆船を描いたレリーフが残っていて、デザインの参考にしたんだ。全長20メートル、幅4メートルの木造船をくぎを一切使わず造船する当時の工法で、チーク材をもちいて、インドネシアの船大工が再現したよ。
クナパくん 日本とインドネシアの古代からの交流が裏付けられたね。チャンプルとか似ている言葉もあるしね。
記者 チャンプルは、ゴーヤ・チャンプルーとかそーめんチャンプルーなどで元々なじみがあって、日本人がインドネシアに来て、最初に覚えるインドネシア語の1つだね。第二次世界大戦中に海軍武官府に出向して、ジャカルタに赴任していた沖縄出身の故稲嶺一郎参議院議員は、終戦後にインドネシア独立戦争を支援したということで、オランダ軍によって戦犯としてグロドック刑務所に1年余り投獄されていたんだ。その後、インドネシアと日本の交流に尽力したこともあって、沖縄の方々はインドネシアに熱い思いを持っていて、交流は続いているね。
クナパくん ウチナータイムにジャムカレットとか、時間感覚がのんびりしているところなど、沖縄とインドネシアは似ているところも多いかな。今年は、ジャカルタ日本祭りが実施されて、みんなでエイサー踊りたいな。