「9・11」から20年
2001年の米同時多発テロを契機に、世界で「テロとの戦い」が始まり、今年で20年。その象徴とも言えるアフガニスタンでは、米軍が撤退し、急進派勢力のタリバンが再び国を掌握した。タリバンが囲うアルカイダの復活も懸念される。
対テロ戦争のもうひとつの象徴であるイラクでも、戦闘から占領、そして復興を目指したものの、米軍撤退後の混乱は深まるばかりだ。内戦続きで破綻国家になったとさえ言われる。
こうしたことはインドネシアに無関係ではない。この20年の経験から何を学ぶか。あらためて考えるべき時にある。
第一にテロ対策だ。これは比較的うまくいっている。アフガニスタンやイラクで、米軍や民間軍事会社が武力行使に頼った「テロ対」に明け暮れるなか、インドネシアは軍ではなく、警察主導で法執行重視の対策を進めてきた。関連法も整え、予防の啓蒙や過激思想の解除、社会復帰支援もやっている。国連機関との協働も多い。もちろん問題がないわけではないにしろ、順調にテロ対策を進めているとの国際評価を受けている。
こういう評価は大事である。グローバルなテロとの戦いが、タリバンやアルカイダの復活、さらにはイラクの混乱などで敗北感が高まるなか、欧米ではなくインドネシアの対策がモデルとなり得るのだというメッセージにつながるからだ。「インドネシアが手本」という時代が来るのであれば、政府のモチベーションも高まるであろう。
第二にタリバン復権の教訓だ。なぜ20年に及ぶ「国家再建」は挫折したのか。その根本には腐敗の問題がある。過去20年間、「敵の敵は見方」の論理で、アメリカはタリバンと敵対する軍閥の幹部たちに政府を任せ、彼らの好き放題にやらせてきた。その政府は犯罪集団の館となり、トップから末端まで犯罪マネーの蓄積に励んだ。スイス銀行には彼らの莫大な資産が眠る。
国際社会はこういう状況に目をつぶってきた。タリバン退治という「治安ファースト」で、政府のグッドガバナンスは二の次だった。後者を訴えて、政府を運営する軍閥ボスたちが反発するのを避けたかったからだ。
そのツケが、腐敗国家の肥大化、不公正のまん延、民主的正当性の喪失であろう。そんな政府を決死で守ろうと思う国民は少ない。今のタリバンの暴挙はもちろんひどいが、前政権も別の意味で国民不在の悪政だった。その教訓は、腐敗の野放しこそが急進主義勢力の肥やしになるということに他ならない。
インドネシアでも、汚職や不公正が市民の政治不信を高め、イスラム擁護戦線(FPI)やヒズブット・タフヒル・インドネシア(HTI)などの強硬派を支持する裾野を広げてきた。どちらも現政権下で解散させられたが、支持層は根強く残っている。
彼らを弾圧する一方、収賄罪で逮捕された政治家の刑の減軽が目立つ。コロナ支援の収賄がバレた社会相、ロブスター輸出で儲けようとした水産相。共に政権与党の幹部で、量刑の特別ディスカウントが世論批判の的になっている。
不正や不公正の放置が急進主義の拡大を招く。どの国も、アフガニスタンの教訓を活かしてほしい。(本名純・立命館大学国際関係学部教授)