ミャンマーとインドネシア
2月1日のミャンマーにおけるクーデターに対し、インドネシア外務省は早々に懸念を表明した。民主主義と法の支配にのっとって、選挙対立を対話で解決するよう訴えた。東南アジアの民主主義国のリーダーであるインドネシアの積極外交が期待されており、その行方を見守りたい。
今回のミャンマー国軍の民主化転覆は、東南アジアの政治と軍部の関係を考える上で、大事な教訓を提示している。
それは、既得権益を深刻に脅かされると、国軍は政治的に暴挙に出るという力学だ。ミャンマーでは、国軍司令官が退役を間近にして、ロヒンギャ迫害の責任を近い将来に追及される可能性に脅威を持った。そのため、退役前に政治的影響力を強化しておく必要があった。しかし選挙で軍系政党は惨敗となり、司令官の不安は深まった。
この個人的な理由に加え、組織としての国軍の懸念も高まっていた。それは、選挙で大勝したアウンサンスーチー政権が、これから国営企業改革を断行する可能性だった。とくに国軍経営のコングロマリットがターゲットになり、国軍の既得権益である鉱業や、宝石発掘、不動産、港湾事業などのビジネス利権にメスを入れる計画だった。これは、国軍にとって組織的脅威だ。
このようなシナリオを受け入れられない国軍は、司令官の個人的な動機と組織防衛が共鳴する形で、時代錯誤のクーデターに出た。そのコストは、ミャンマーの民主化の暗礁であり、政治的不安定の深刻化であろう。
インドネシアは、こういう展開になるのを防いできた。スハルト独裁政権が終わったとき、民主化のシンボルといえばメガワティ闘争民主党党首だった。彼女はスーチー氏と同様、過去に国軍から弾圧を受けてきた。にもかかわらず、メガワティは大統領になっても国軍を敵視しなかった。むしろ将校たちを政権内部に組み込んで、ビジネス権益も保持させた。過去の人権侵害についても、多くを不問とした。これによって国軍は、民主化が進んでも窮地に陥ることはないと確信するに至った。
この確信があるため、国軍は文民の政治を邪魔しない。この、ある種の「取り引き」が、軍人と文民政治家のコンセンサスとなって、その後のユドヨノ政権、そして今のジョコウィ政権へと受け継がれている。
ユドヨノは元軍人であり、国軍の既得権益を損なう改革は行わなかった。ジョコウィも国軍には極めてフレンドリーである。
それを考えると、民主化後の政治安定の「秘訣」が見えてこよう。インドネシアは国軍を手なづけた。だから軍人は暴走しない。ただ、その代償が民主改革の形骸化だ。逆にミャンマーは民主改革を前進させようと国軍の去勢を試みた。結果、逆襲されて政権転覆という代償を負った。
改革と安定のはざまで、どのような政治決断をするか。両国は、その対象的な展開を国際社会に示しているといえよう。(本名純・立命館大学国際関係学部教授)