聖なる月 ラマダン 断食、一体何のため?
4月24日からインドネシアでもラマダン(断食月)が始まった。ラマダン中、インドネシアの人々はどのような生活を送るのか、在留邦人が注意すべき点は何か、クナパ君の疑問に記者が答えた。
クナパ君 いよいよラマダンが始まったね。
記者 そう。年度初めは人の入れ替わりもあり、今日はラマダンについて初歩から考えてみよう。まずラマダンとはイスラム暦の9月を意味する。信徒は夜明けから日没までの間、一切の飲食を断つことが義務とされる。
クナパ君 断食だね。
記者 日本では聞き慣れない文化のためか、過酷・厳格な修行を彷彿とさせる「断食」という言葉だが、近年は「ファスティング」として健康増進や病気治療で欧米で注目される。大隅良典教授のオートファジー研究(細胞の自食作用)がノーベル生理学・医学賞を受賞してから記憶に新しい。
クナパ君 イスラム教徒は?
記者 もちろん、その目的はやはり宗教的だ。ムスリムは断食を通して飢えを体験し、飢餓にある人の苦しみを共有する。また欲望の抑制を覚え、日々の恵みに感謝し、富者は貧者に施す大切な時間とされる。断食は基本的に大人が行うもので、子どもは乳幼児より上の年齢になると少しずつ空腹に慣れる練習をしていく。病人や妊婦、高齢者などは命の危険があるため、断食は免除になるね。
クナパ君 期間中はどんな生活を送るの?
記者 夕暮れの頃、アザーンと呼ばれる、日没の礼拝の呼びかけがモスクのスピーカーから流れ、街中に響き渡る。その優美なアラビア語の音色で断食が解かれると、ムスリムはまず、その日1日の喉の渇きを潤す。イフタールと呼ばれる夕刻の食事になれば、家庭ではいつもより豪華な料理が準備され、親戚や友人を招いて一緒に食卓を囲むんだ。モスクなどではイフタールが無償で提供されるよ。まるで日本の大晦日のような夜が、施しの気運の高まりを見せながら1カ月続く。ラマダンが終わると、祝賀行事「タクビラン」が行われ、街はお祭りムードに包まれるんだ。
クナパ君 僕たちはどう向き合えばいいの?
記者 日常のリズムの変化に戸惑いを感じる場面が多々ある。例えば、断食の時間帯の飲食はイスラム教を軽視する行為に捉えらえる場合があり、トラブルを避けるためにも公共での食事は控えた方がいい。また労働時間の短縮で、公的機関や商業施設が通常より早く閉まる。断食終了目前で注意散漫になったドライバーの運転は荒いことがある。
クナパ君 気をつけなければね。
記者 そうだね。しかも例年、イスラム過激派がラマダン前後と期間中にテロの呼びかけを行っており、インドネシアでは一昨年、スラバヤで自爆テロなどが起きている。人が集まりやすい場所はテロの標的になりやすい。いずれにしても、イスラム教徒の習慣を尊重する気持ちが必要だ。そして周囲の人々が気分を害さないよう言動に気をつけるなど、普段に増して配慮が必要だよ。(久吉桂史)
コーラン第2章185節
「ラマダーンの月こそは、人類の導きとして、また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーラが下された月である。それであなたがたの中、この月(家に)いる者は、この月中、斎戒しなければならない。病気にかかっている者、または旅路にある者は、後の日に、同じ日数を(斎戒する)。アッラーはあなたがたに易きを求め、困難を求めない。これはあなたがたが定められた期間を全うして、導きに対し、アッラーを讃えるためで、恐らくあなたがたは感謝するであろう」