【人と世界】路上の子どもと22年 我が子のように 共に歩むことで ストリートチルドレンを教育支援 修道女・井上千寿代さん

 「自分を受け入れてくれる恋人ができた」。修道女の井上千寿代さん(71)は今年1月、ストリートチルドレンだったマンスールさん(30)の告白に心の中で涙していた。1991年9月に来イ、ストリートチルドレンの教育支援をしてきた。「一度関われば『はいサヨナラ』とはそう簡単に言えない。共に歩むことで人々のより良い生活を見てみたい」。あれから22年、わが子のように接してきた子どもたちは結婚したり、進学したり、自分たちの道を歩み始めた。
 香ばしいにおいが屋台から漂う夕方、同情を買うため服をわざと汚した子どもたちが走り回る。地方都市から人が流れ込む東ジャカルタのジャティヌガラ駅。さまざまな誘惑や危険が渦巻くジャカルタで、路上の子どもたちはカネを求め、歌を歌い、日銭を稼いでいた。サツマイモばかり食べ、駐留米軍からミルクをもらった戦後の幼少期が、路上の子どもに重なった。
 一人一人を名前で呼ぶ。路上で出会う子どもたちと向き合うときに心掛けていることだ。当時13歳のエディさん(31)から「Kamu(お前)じゃない。僕にもちゃんと名前がある」と言われたのがきっかけだった。どこにも所属せず自由である一方、子どもたちが抱える孤独感は大きい。守ってくれる人は誰もいない。子どもたちの目には混沌たる都会への不安があった。「愛されていると感じることが、自分の誇りになる」。井上さんは時間を見つけては足を運び、他人とどのように関わっていくのかを教えるようになった。
 自宅に客が来たとき、子どもにあいさつするよう求めたことがある。「あいさつさせてもらえるのがうれしい」。幼児期に両親とはぐれストリートチルドレンになったエディさんは、1人の人間として認められた喜びをかみ締めた。

■愛されること知った
 麻薬や殺人、犯罪が当たり前の路上生活。マンスールさんは97年、一緒に暮らしていた親友を殺した。以前電車から転落し失った左足をからかわれ、かっとなって後頭部を何度もたたいた。路上の仲間と麻薬を使用し、酒を飲んでいた最中の出来事。16歳の刃がむき出しになった。
 服役して98年5月暴動の最中に釈放されたマンスールさんを、井上さんは黙って迎えた。ストリートチルドレンの中で、1人勉強熱心だったマンスールさん。大学に進学したが中退、音信不通になった。「他の考えがあるのだろう」「何かあればそのうち連絡してくるだろう」。井上さんは急かさず、待ち続けた。2011年、マンスールさんは復学を果たした。3度目の挑戦だった。現在、午前9時〜午後4時まで銀行の管理部門で働き、午後7時まで法学を勉強する日々を送っている。
 今、マンスールさんは路上生活を振り返る自叙伝を書いている。井上さんからの宿題だ。9歳、貧しく苦しい生活が嫌でスマトラ島ランプンの親元を離れた。10歳、井上さんと出会った。14歳、左足を切断した。16歳、親友を殺してしまった。30歳、すべてを話せる交際相手ができた。人に愛されることを井上さんから知り、人を愛することができるようになった。新しい人生が始まった。(上松亮介、写真も)

◇プロフィル
 42年1月8日生まれ。20年以上見てきた子どもたちが自立した今、貧困層の市民を支援する市民団体「ファクタ」に所属。土地収用などで退去させられ住居を失った人に、行政機関に仮住居を求める交渉方法などを教える。すでに10年以上の付き合いがある、東ジャカルタ区クボン・ナナスの墓地に暮らす住民らは、井上さんを「おばあちゃん」と呼ぶ。
 91年、世界中で教育活動をするカトリックの女子修道会・聖心会から派遣され、日本語教師として来イ。アトマジャヤ大を経て、現在ナショナル大(UNAS)で教える。当初から抱いていた「貧しい子どもたちのために」という思いで、非政府組織(NGO)に所属、ジャカルタのストリートチルドレンを支援。また東ティモール紛争やスマトラ沖地震・津波で、被害者・被災者の救済に奔走してきた。

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