【じゃらんじゃらん特集】 メンテンの祈り、歴史の波を越え チュット・ムティア・モスク

 閑静な高級住宅街の中央ジャカルタ・メンテンにあるチュット・ムティア・モスク。外観はオランダ風の由緒ある建物だが、中に入ると大きなアラビア文字が掲げられている。オランダ植民地時代の雰囲気が残るモスクは、今日もムスリムたちが祈りを捧げるために訪れ、話に花を咲かせながらくつろぐ都心のオアシスにもなっている。
 白を基調としたモスクに入ると、サロン(腰巻き)やペチ(イスラム帽)を身に付けたムスリムが祈りを捧げている。天井を見上げると、高さ約20メートルの吹き抜け。モスク内に光がそそぐ。
 毎日礼拝に来ているというハニフ・タウフィックさん(60)は「礼拝後に天井を見上げると、アッラー(神)に近づいたような開放感を感じる」と話す。モスクには昼寝をする人、コーランを暗唱する人、談笑する人。都心の喧騒を忘れさせてくれる憩いの場だ。モスク管理人のプジオノさん(50)によると、モスク内には、信仰や私生活の悩みを聞いてくれる相談所も設けられているという。
 この建物が建てられたのは、インドネシアが独立する30年ほど前にさかのぼる。1912年、オランダ人建築家のピーター・アドリアン・ジェイコブス・モージェン氏らが建築会社の事務所として建設。当時、オランダ人官吏の新興住宅地だったメンテン地区に、本国の最新の建築技術を結集した建築物が登場したと注目を集めたという。この建築会社ボウプロッグの名前は、今でもモスク近くにある「ボプロ市場」として残っている。
 日本軍政期には日本海軍の拠点に一変した。モスク付近で生まれ育ったムハンマド・アブザルさん(85)は「この建物の前でヘイホ(兵補)が竹槍などで訓練を行った」「近隣の小学校に軍人が出向いて日本の方向へ向かっての敬礼を強要させていた」と語る。「『ケイレイ』という言葉を何回も繰り返した。ムスリムにメッカ以外の方向へケイレイさせることは許されることではない」と当時を振り返った。
 45年の独立以降、インドネシアをリードしてきたエリートが利用してきた建物でもある。60年代は、モスク近くに自宅のあるナスティオン将軍が事務所として使用していたが、当時、メンテンにモスクが一つもなかったことから、住民の要望を聞き入れ、モスクとして使うことになったという。現在もブディオノ副大統領など政府高官が礼拝に訪れる。プジオノさんは「(近くに公邸があるジャカルタ特別州の)ジョコ・ウィドド知事にも来てほしい」と話した。
 メンテンは観光客が訪れる地域にも隣接している。安宿やビジネスホテルが急増するジャクサ通りやワヒッド・ハシム通りから、外国人が立ち寄ることも多い。欧米人を中心に中国人や韓国人も来るが、日本人はまだ少ないという。
 オランダ、日本と、激動の時代を乗り越え、現在は公園の一角にひっそりとたたずむ。緑に囲まれたモスクを散策しながら歴史に触れてみるのもいいかもしれない。(小塩航大、写真も)

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