【人と世界―顔】 闘うジャーナリスト ディディック・ブディアルトさん(52)
1994年、34歳、勤めていた週刊誌「テンポ」がスハルト政権から発禁処分に遭った。東ドイツ製戦艦購入をめぐるハビビ元大統領の関与疑惑報道が独裁政権の逆りんに触れた。抗議デモに参加した同僚たちの中には、代替メディアとして創刊された雑誌「ガトラ」に参加する者もいた。
「より良い社会のために」。学生時代から持ち続けてきた闘志は消えなかった。失職した同年、同僚たちと外国向け通信社「チャクスラガ・ヌサンタラ・メディア(CNM)」を設立。検閲をくぐりながら、ニュースを発信し続けた。ビデオテープをシンガポールに運んでから送信することも。ジャーナリストとして「闘う姿勢」を止めなかった。98年のトリサクティ事件、5月暴動の報道で、CNMは米国のエミー賞、英国のローリー・ペック賞を受賞した。
現在はマレーシアの「TV3」の記者だ。当時と比べ、インドネシアは平和になった。だが、宗教衝突や学生乱闘に汚職、問題は尽きない。だからこそ、ジャーナリストが必要だと思っている。自宅の電話が鳴った。マレーシアの視聴者からだった。自分の報道番組を見て「恵まれない子どもたちに寄付がしたい」と話していた。「社会を良くしたい」。若き日の情熱がこだました。(上松亮介、写真も)