〝ベートーベン女子〟ワヤンの道へ ソロ留学の岸美咲さん㊦ 初のジャワで受けた衝撃
「こういう世界もあるんだなっていうのが、衝撃だった。私の中で常識と思っていたことが、どうもそうじゃないらしいって……」。岸美咲さんは、自身の人生を大きく変えた出来事を、そう振り返る。大学1年の終わり、初めて訪れた中部ジャワ州ソロでのことだった。
「ジャワのおじさんはベートーベンを知っているのか?」。幼いころからピアノや吹奏楽に触れ、「大好きなベートーベンを研究したい」と東京藝術大学の楽理科に進んだ岸さんにとって、この疑問は当然のことだった。
早速、乗り合わせたタクシーの運転手に尋ねたが、「運転手さんは『え、何?』って反応。(ベートーベンの)名前も発音できなかった」。
旅の中でもうひとつ感じたことがある。「ジャワは、伝統音楽が身近にある世界」。レストランやカフェで流れる伝統楽器「ガムラン」の演奏、町の至るところで練習が行われているワヤン・クリット……。人々の暮らしに根付く民族音楽に触れ、自身の興味が少しずつシフトしていった。
「そういえば私、民族音楽のことを知らないなって。そっちを勉強したいと思うようになった」。帰国した岸さんは、大学のサークルで学んでいたガムランに、これまで以上に没頭。大学3年生の時、社会人サークル「ランバンサリ」での活動で、ワヤン・クリットに出会った。
「気がついたら、私は(ジャワに)留学するもんだと思うようになっていた」。
2018年、インドネシア政府の「ダルマシスワ」や、日本の「トビタテ」などの奨学金を得て、誘われるようにインドネシア芸術大学(ISI)スラカルタ校へ。現在はワヤン・クリットの人形使い「ダラン」について研究しながら、自身もワヤン・クリットの実技を学ぶ。
留学前は挫折も経験したが、「ワヤンや楽器の先生は、前向きな人が多くて、『絶対にできるようになる』って言ってくれる。前よりも、なんだか生きやすくなった気がします」。
留学後のキャリアを見据える岸さんの根底に流れるのは、初めてのジャワで刻まれた「自分とぜんぜん違うものに触れる体験を共有したい」という思い。喜びや感動を胸に、今日もソロでワヤンを操る。
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悠久の歴史の中で育まれた、ジャワ島の文化・芸能の数々。新型コロナウイルスの感染が拡大する中でもインドネシアに残り、その魅力を発信し続ける、3人の「アート系日本女子」の物語を紹介する。