【人と世界/manusia dan dunia】 日本の美をジャワへ みやび流押絵 4代目小西聡甫さん
額縁に入れられた菖蒲(しょうぶ)の花や着物姿の日本女性。東ジャワ州スラバヤ市内のギャラリー「ハウス・オブ・サンプルナ」の朱色を基調とした壁に、125年の歴史を持つ「みやび流押絵」が展示されている。
押絵は、人物や花の下絵通りに切ったボール紙で綿を包み、膨らみができたボール紙をシルクやコットンなどの布でさらに包み込むことで出来上がる。江戸時代、宮中の女性がたしなんだ日本の伝統芸術だ。
関西を拠点に計5カ所で押絵教室を開講する「みやび流押絵」4代目代表の小西聡甫(そうほ)さん(37)が5月20日(日)まで、東ジャワ州スラバヤで自身の作品展を開催している。
◇王女との出会い
2002年、テレビ番組のジョクジャカルタ特集を偶然見ると、現在も市民から尊敬されるスルタン・ハメンクブウォノ十世の姿があった。「この方に自分の作品を見てもらいたい」。芸術家の直感だった。作品をスルタン宛に贈った。
小西さんは翌年の03年、ジョクジャを旅行した。バティック(ろうけつ染め布)やワヤン(影絵芝居)の製作体験。古都の芸術に魅せられ、ジョクジャに毎年通うようになった。
そうしている間、06年に中部ジャワ地震が発生。その直後から、同じようにジョクジャ好きのデザイナーの弟、雅さんが、被災者支援としてジョクジャの子どもを撮影した写真をポストカードで販売し、義援金を送付。07年、「当時撮影した子にまた会いたい」。雅さんの付き添いでジョクジャを再訪した。
滞在中に電話が鳴った。「被災した市民や職のない市民に、手に職をつけてもらいたい。押絵を教えてほしい」。知り合いを通じて、ジョクジャ王家のグスティ・カンジェン・ラトゥ・プンバユン王女が連絡をくれた。
「贈った作品をちゃんと見ていてくれた」。驚きと喜びが混在した不思議な気持ちだった。小西さんは08年、プンバユン王女の家を訪問。同年1月、7月と09年1月の計3回、ジョクジャ市民約30人に押絵を教え、同年4月にスラバヤのハウス・オブ・サンプルナで合同作品展を開催した。
「より多くのインドネシア人に、自分の作品を見てもらいたい」と今回の作品展を企画。堅調な経済成長でインドネシアが勢いづく一方、日本は落ち込んで元気がない。だが、若い世代こそ「攻め」の姿勢を持ちたい。インドネシアで日系企業の投資が増えている。小西さんは「大好きなインドネシアだからこそ、日本の魅力的な伝統文化でどんどん打って出て行きたい」と話す。
■ギャラリー
「ハウス・オブ・サンプルナ」( Taman Sampoerna 6, Surabaya、☎031・353・9000)
■生徒募集
みやび流押絵は随時、生徒を募集。問い合わせは、みやび流押絵事務局(芦屋市公光町3―15、電話とファクス0797・34・1001)まで。