木造船ピニシでゆったり スンダクラパ港 「海の博物館」にタイプスリップ
インターネットで「木造のピニシ船を体験できる」という書き込みを見て、北ジャカルタのスンダクラパ港でのツアーに参加した。ガイドは、副業でツアーを始めたデルタさん(26)。半日のショートトリップは、まるで小さな冒険だった。
ピニシ船は、南スラウェシ州の海洋民族ブギス人の木造帆船。その造船工法は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されている。その趣を体験したい、ジャカルタで船に乗ってみたいと思った。
北ジャカルタのムナラ・シャーバンダル(Menara Syahbandar)でデルタさんと待ち合わせ。オランダ東インド会社が建設した見張り塔だ。港まで歩いて約10分、スンダクラパ港に到着。そこには、年季の入った木造船がいくつも停泊していた。「これがピニシ船?」と思い、胸が踊った。デルタさんが小舟のオーナーと値段を交渉し、5人乗りという簡易な渡し舟に恐る恐る乗り込んだ。両サイドに大型の木造船、船と船の隙間をぬって、湾内に出た。時折、釣りから戻る小型船とすれ違って手を振ったり、大型船を下から見上げたりすると、迫力は抜群だった。地上を見ると、開発中の高層マンション、その麓の湾内は小型船がいくつも停泊していて、その対照的な光景が面白い。
10分ほど進んで白い木造船の隣で止まった。小型船から、木造船のへこみに足を掛けて、よじ上り、船内へ。「これがピニシ」とデルタさん。
船内では、1人の男性が壁のペンキを塗り直していた。もう1人の男性は、たばこを吸って腰を掛けており、デルタさんがあいさつをすると、船のオーナーのダエング・バロズさん(48)だった。船は建造されて22年。今回は6人が乗船し、1週間かけて南スマトラ州のパレンバンから600トンのセメントを運んできたという。プラウスリブに寄る予定だったが、船が故障し、しばらく停泊しているとのことだった。
船内を見渡すと、ニワトリが2羽。鳥かごにインコが2羽いた。長い船上生活でストレスがたまるため、ペットとして飼っているという。「名前は?」と聞くと、「まだ付けてない。いま付ける?」とおしゃべり好きなバロズさんだ。
船内の2階に上ると、船長室が現れた。室内には、衛星利用測位システム(GPS)と方位計、双眼鏡がある。船長室の横には、簡単なキッチンスペース。鍋や炊飯器があり、船長専用という。ゆったりとした時間が流れる船の窓から、ほこりにかすむジャカルタのビル群が見えた。
船の1階に降りる。油で黒ずんだエンジンが振動し、音を立てて動いていた。近くには仮眠室があり、薄暗い室内にカプセルホテルのような小さな個室。1人の男性が顔を出した。
船先に向かうと、床の一部から、船の内部の構造が見えた。木の柱が何本も重なり合い、伝統的なピニシ船の構造を思い出した。
バロズさんは、船舶関係の仕事に従事して30年になるベテラン。ペンキを塗っていた船員の男性も同様に、ブギス人という。バロズさんは、月に4回ほど、船に乗るという。クリクリした目を見開き「もっともっと質問をして」と言われ、話は尽きない。
小舟に乗り換え、再び、巨大なボートの間を抜けて、港につくと、現実に帰った。ピニシ船は、海上の博物館のようだった。
近くの海洋博物館に立ち寄った。オランダ東インド会社の倉庫を利用した博物館だ。インドネシア各地に伝わる伝統的な船の作り方がいくつも展示され、地域による違いや製法の多さに驚かされる。
スンダクラパ港を訪れた歴史的な人物の人形も展示。文化や経済をもたらした各国の人物が並ぶ中、日本人は陸軍の今村均第16軍司令官。第二次世界大戦中の日本軍による蘭印作戦で、総司令官を務めた。日本軍に対するプロパガンダのポスターが展示されていた。デルタさんは、「有名なプロパガンダです」などと説明してくれた。ほかの国の人物と様相の違った展示に、驚きながらも、いま、こうしてインドネシアの人々と交流できていることに感謝を覚えた。(木許はるみ、写真も)