【ジョコウィ物語】(14)不明朗さと断固闘う 行政改革に着手
ソロの行政改革が始まった。ジョコウィが初めに着手したのは許認可発給の一元化・電子化だった。それまでは発給に3カ月から半年ほどかかるものもあり、市民は複数の部局を行き来する間に「アンプロップ(封筒)」を催促されることがよくあった。許認可手続きは行政の煩雑さと不明朗さの象徴だった。
しかも、投資・起業は市の経済発展の肝。理にかなわない障害があれば、投資家が逃げる。危機感があった。
ソロは中部ジャワ第3の50万都市にすぎなかった。ジョクジャカルタは国内有数の文化観光都市。州都スマラン市は国際港を持ち、労働集約型産業が集まり、郊外では工業団地開発が始まった。両者の後塵を拝するのがソロだった。
「統合サービス課(UPT)=キーワード=をつくることはすぐに決まった。ジョコウィは実業家、動きが速い」。ジョコウィの側近トト・アマントは述懐した。新設されたUPTの課長を務め、現在も改称後の投資許認可部の部長を務める。「彼が市長になると眠っていた施策が動き始めた」。
トトの容貌ややせた身体つきはジョコウィに似ていた。「2人が並ぶとどちらか見分けがつかない」と言われるほど。2人は中学生で同じクラス。帰り道が別々だったので親交は深くなかったが、市長就任後の顔合わせのとき、記憶がよみがえった。
トトは各部局と折衝を重ねた。市長の意向とはいえ、部局が持つ権限の一部を自分のところに集める作業は簡単ではない。市庁舎の各所から反発が出た。だが、ジョコウィは動じずジョクジャカルタのITコンサルタントを雇ってシステムを構築した。就任から半年を経た2005年12月、UPTは許認可発給を開始。当初はシステムが不調だったが、追加予算がついて安定した。「KTP(住民登録証)の発給、保健カード、奨学金を含む、50以上の許認可を出せるようになった」。KTPの電子発給は先駆けになり他の県市が追随した。
職員の規律を高める仕組みも導入した。メディアで携帯電話番号を公開し、行政で不都合なことがあれば、SMS(携帯メール)で連絡するよう求めた。毎週金曜日は自転車で街を回り町郡村と市の出先を抜き打ち視察。トトは「何度かついて行ったが、繰り返し移動するのでへとへとになる」。居眠りしたり出勤しない職員もいる行政現場に、緊張感が生まれた。
■「とにかくよく働く」
トトは市官房長を務め市長の脇を固めた経験もある。「とにかくよく働く『ジャゴ(つわもの)』だった」。会合を数珠つなぎにし、庁舎に訪問者が列をなすと午前0時を越しても対応した。何もなければ黙々と仕事をする。
同じく市官房にいた現文化観光局長のエニー・テャスニ・スザナも「テレビで知られるように、ゆったり構えているわけではない。指示しても期限通りに終わらない人がいたら、『どうして終わらないのか』と静かに問いつめる、規律のあるボスだった」。
厳しい対応もちゅうちょなくとった。KTP発給の電子化に最後まで反対した郡長3人を更迭。収賄の報告を受けたバスターミナルの運営責任者も更迭した。
トトはこう考える。「ジョコウィはソロのときも、ジャカルタのときも同じ。難しいところに入り、改善していく。大統領になってもそうすると思う」(敬称略 吉田拓史)
◇統合サービス課
いくつかの部局にまたがる許認可、住民登録証手続きを1カ所で済むように統合するサービスを提供する。市民が多くの部局を回る過程で生じる贈収賄を防ぐことが主な目的。スラバヤ市も導入した。