【村を翔たオバマの母(5)】フィールドワーク14年 日本軍が武器を作らせた村
「トンカン、トンカン」――。金属をたたく軽妙なリズムが、村の一角に響きわたる。ジョクジャカルタ特別州の南部に、オバマの母アンが14年間にわたりフィールドワークをした鍛冶村、カジャール村がある。村内には大小数十カ所の作業小屋があり、いまでも1グループ3〜4人の職人が金床を囲み、ハンマーで代わる代わる原材料をたたいている。
村民は世帯でみれば「農家」であり、農業と併せた重要な収入源として鍛冶業も営む。バリ、スマトラなどにも農具やガムランの鐘を作る鍛冶村はあるが、典型的な村としてアンはカジャールを選んだ。
■村民との歓談
カジャールの人々は、わが村こそが由緒ある鍛冶村だと信じている。神秘的な力を持っていたクリス(儀礼的短剣)職人を祭る先祖信仰がある。アンは伝説や民族誌のほかに、鍛冶職人らの分業、損益、製品の販売の仕組みを丹念に調査し、生業の成り立ちを書き留めた。
インドネシア語だけでなくジャワ語も学んだアンは、「村民との会話を何時間も楽しみ、聞き上手だった」。村の有力商人だった夫を十数年前に亡くしたサストロスヨノ(82)は、娘マイヤと訪れたアンをきのうのことのように覚えている。
記録は詳細な村史にも及ぶ。その一期間、村民が言うところの「日本時代」(日本軍政の占領時)には、こんな「事件」があった。
日本軍は、ジャワで接収した大量の農具やくず鉄を村に運び込み、鍛冶職人に武器づくりを強制させる。だが農具不足による食糧減産を招き、自分たちも食べ物に窮すると方針を一転。逆に壊れた武器類を村に運び、「人道的に農具製作を奨励したのだった」(アンの著書より)。
独立後の日本との関係についても紙幅を割いている。JICA(当時は「国際協力事業団」)が各地の鍛冶村で行ったスプリングハンマー(鍛造機)の試験導入を前向きに評価。「先進諸国の中では日本が唯一、インドネシアの農村で使える適正技術の開発に関心を持ってきた」と指摘している。
■母の夢かなえる
博士論文は1992年に完成し、千ページ以上の大作に。アンは一般の人にも読んでもらうため、再編出版する作業に取り掛かっていた。しかし志半ば、博士号取得から3年後、子宮がんで他界する。娘マイヤは関係者に遺稿の編さんを働きかけ、2009年に発刊(邦訳「インドネシアの農村工業」)。母の夢をかなえた。
オバマは、母が足を運ばせたジャワの村々をいつか訪れたいと記している。アンは、当時は滅びるといわれていた農村の鍛冶業が、それどころか発展存続すると論じた。カジャール村にいまも響き渡る金属の音が、それを裏付けている。(ライター・前山つよし、敬称略、おわり)