イエメンからバタビアへ 華人の弟子と眠る伝道師 ジャカルタ北端「ルアール・バタン・モスク」
18世紀初頭、アラビア半島南端のイエメン・ハドラマウトから、オランダが統治する東インド(インドネシア)へ航海したイスラム伝道師がいた。交易都市バタビア(ジャカルタ)北端に建てたモスクを拠点に布教したのは、サイド・フセイン・ビン・アブバカル・アル・アイドルス氏。インド北西のグジャラートを経て新天地を求めてやって来たとされ、ラマダン(断食月)中は礼拝に訪れるムスリムが絶えない。
年初の大洪水や住民の移転計画で揺れるプルイット貯水池の南約500メートル。大通りから車1台がやっと通れるほどの路地を入ったところにルアール・バタン・モスクはある。
モスク管理人のジュフリさん(50)によると、国内だけでなく、マレーシアやブルネイなど海外からの参拝者も多く、大通り沿いに大型バスが並ぶこともある。ユドヨノ氏ら歴代大統領や閣僚、軍警察のトップ、州知事など高官は必ず訪れる。最近は来年の選挙当選の祈願にやって来る政治家も増えているという。
東ジャカルタ・チジャントゥンから家族と訪れたサリムさん(63)は「ここはジャカルタの歴史において最も重要なモスクの一つ」と話す。「ラマダン中は由緒あるモスクを巡っている。故郷の東ジャワにも巡礼地があり、帰省した際には必ず訪れる」という。
各地のムスリムを惹き付けるこのモスクの魅力の一つとして、ジュフリさんは、アラブ人伝道師と華人の師弟関係を挙げる。モスクの左手前の建物の中には、フセイン氏とスマトラ島パレンバン出身の華人の弟子アブドゥル・カディル氏の墓地があり、この日も墓の回りでコーランを朗誦するムスリムの姿があった。
この辺りは1970年代までデルタ地帯で、参拝者や住民は渡し船を使ってモスクを訪れた。埋め立てて住宅密集地となり、車も入れるようになったのはつい最近だという。
船乗りらでにぎわうスンダ・クラパ港の西側という土地柄、今でも住民は各地からの流入者が大半だ。ジュフリさんは「私の両親は南スラウェシ州マカッサル出身のブギス人。でも私はここで生まれ育ったジャカルタ市民」と笑った。(配島克彦、写真も)