親戚同士で絆深める バリ島のニュピ 静寂に包まれる街
いつもならビーチパラソルが立てられ、日光浴をする観光客らで賑わうクタの海岸から人影が消えた。がらんとした通りを時折、黒いTシャツに腰布を巻いた自警団の若者が自転車に乗ってパトロールしている。
バリ・ヒンドゥーの正月にあたるニュピの15日、バリ島のビーチや街角はニュピの語源とされる「静かな」という意味の「sepi」が示す通り、静寂に包まれた。
道の脇に前夜、若者や子どもたちに担がれ通りを練り歩いたオゴオゴがぽつんと立っていた。オゴオゴは1980年代初め、デンパサールの若者が作り始めたものと言われている。それがニュピ前夜の悪霊祓いの行進の主役になり、今や地元の人や観光客を楽しませる文化としてすっかり定着した。
行進の最後に焼き払われることになっているが、ニュピ明けの朝、200万ルピア(約2万円)と値段が付けられたものもあった。昔ながらの竹や新聞紙ではなく、発砲スチロールを使って精巧に仕上げたものだ。
ギアニャール県スカワティのラカさんの家では、ニュピ前日の昼過ぎから親戚らがやって来た。鍋やフライパンを打ち鳴らして悪霊を追い払う儀式を済ませ、夜は皆でオゴオゴ見物に。料理をしてはいけないので、食事は前日までに作った煮込みなどを食べた。
ニュピは「家の中のレクリエーション」とラカさんは言う。「普段は仕事や何かで来られない人が一同に集まり、外出ができないので家の中でずっと一緒に過ごして絆を深める。それまでのお互いの過ちを許し合い、翌日から新しい気持ちで次の1年を迎える」と話した。翌朝は新しい気持ちで、皆でプールに出かけたそうだ。
実家のあるバンリ県キンタマーニを離れてデンパサールで働くブディさんは、前日の昼過ぎにはデンパサールのコスを出て故郷に向かった。「田舎のニュピはどこの家でもとても賑やかになる。コス(下宿)にいたらテレビを見るにしても光が外に漏れないように窓を覆わないといけないし、寂しいだけ。隣に住むジャワ人はバリに住む親戚の家に身を寄せた」と話した。
一方、ホテルなどで働くバリ人には家族と過ごせない人が大勢いる。ニュピ前夜のクタのホテル、夜7時で営業を終えたレストランでの仕事を終え、宿舎に向かう料理人のクトゥットさんが話した。「通りは全部通行止めになったので、今夜は家に帰ることができない。宿舎に泊まって明日の朝、タバナンの実家に戻る。ニュピを家族と一緒に過ごせないのは残念だが、仕事だからね」
雨期の終わりを告げるニュピ。翌13日の朝はこれまでにない、抜けるような青空になった。(バリ島で、北井香織、写真も)