【じゃらんじゃらん特集】 手つかずの楽園は遠く マルク州ケイ諸島
その島は海しかなかったが、海だけで十分だった。手つかずの楽園―。マルク州ケイ諸島はそんな表現がぴたりとはまる、美しい島々だ。
茂った木々を真っ直ぐ抜く一本道を、バイクが風を切って進んでいく。単調な道のりは「ロードムービー」を観るような感覚を覚えさせる。
やがて見えた海岸に目を疑った。魔法のように鮮やかな色彩に圧倒された。
砂浜は雪のように日光をはね返し、一点の曇りのなく白い。海水は限りなく透明に近い青緑だ。「観光」が加工したものとは違う、放っておかれた自然。「Ngur Bloat(ングル・ブロート)」。島の言葉で「長い海岸」という意味だ。誰もいない海岸を、独り占めにする愉悦にしばし浸った。
ケイ・クチル島の南部に足を伸ばした。驚くほど「何もなかった」。あるとすれば南洋の植物が茂る森と、石灰質を含んだ白い岩壁くらいだ。時速100キロで飛ばすバイクの上は風が体を殴るが、何も考えないでいるには最適だった。瞬時に過ぎていく空間が、頭の中の些末なことを吸着してくれているのだろう。
ケイ諸島はアンボン島から飛行機で2時間半の僻地だ。島の中心部以外、携帯の電波は入らない。この「距離感」が日常から自分を完全に遠ざけた。海とともにぼうっとしているうちに、時間感覚のネジがこぼれ落ちる。そうしていれば時はただのんびりと過ぎゆくだけだ。
海は刻々と表情を変えていく。漁師の木造の小舟が浮かび、子どもたちが普段着のまま水に飛び込んだ。雲はとてつもなく大きい。
陽が西の空に沈み、辺りは暗闇と静寂に包まれた。月と星だけが照らす世界だ。帰り着いた宿にはシャワーがなくお湯も出なかった。夜は長く、深かった。ベッドは生き物たちの鳴き声に包まれている。(マルク州ケイ諸島で吉田拓史、写真も)