ジャカルタの街並みを懐古 別名「骨董品通り」 ジャラン・スラバヤ

 目まぐるしい都市化の勢いに飲まれそうになりながら、ふと高層ビルを見上げて「いつの間にこのビル出来たんだろう」と茫然としてしまうこともある近頃のジャカルタ都心部。特にコロナ禍での外出自粛期間後、ジャカルタは東京の片隅にもありそうな無機質でハイセンスなカフェに連日連夜人が集う街になったという印象です。今月のおすすめ観光情報は、日々活気も渋滞もパワーアップし、目新しいイベントも目白押しのジャカルタで昔ながらの観光名所として残り、さらに進化を続けるスラバヤ通りを紹介します。

 スラバヤ通りはオランダ統治時代の1910年代に開発された高級住宅街である中央ジャカルタのメンテン地区にある道路です。この道路を観光地として有名にしているのは路上に並ぶ骨董品店の数々で、別名骨董品通りとも呼ばれています。
 骨董品通りとしての始まりは1960年頃、最初は商人たちが路上に敷物を広げて骨董品を売っていたことからなのだそうです。独立前後のインドネシアの激動の時代を経て、もしかするとこの辺りの高級住宅の中に残されていた珍しい舶来品、高価な芸術品、はたまた窃盗品や出所不明の怪しげな品々が蚤の市のように集まっていたのではと、その光景を想像します。
 もっとも、今から10年ほど前までジャカルタの至る所に青いビニールシートの上に商品を並べた露天商が路上を占拠している光景は珍しくはありませんでした。日が暮れるとどこからともなく集まってきては店を広げる露天商たち。夜市気分でスニーカーやらTシャツやらを冷やかし半分に覗いたりすることも日常でした。そんな中、スラバヤ通りの露天商たちはこの場所に店舗を構え、いつしか骨董品通りとして内外の観光客を多く集めることになったのです。
 「ここにお店を開いてもう40と何年かな、1976年からだから……」。ひとりのおじさんが話してくれました。「毎日ここで店を開ける、午後5時まで。家はあそこの一本道を入った先さ。仕事も生活も、自分の人生はすべてスラバヤ通り。あ、あそこに座っている体格のいい男は息子なんだよ」。そう言いながら自分のお店と辺りを交互に見つめるおじさん。なんだかグッときました。
 しかし、これほど歴史と趣があるスラバヤ通りの紹介が日本の大手ガイドブックからいつしか無くなり、知人のジャカルタ生まれの22歳はスラバヤ通りのことを知らないと言っていました。まさに時代の流れなのでしょう。松任谷由実さんが「スラバヤ通りの妹へ」という歌を歌っています。舞台はこのスラバヤ通りか、はたまた東ジャワ州の都市スラバヤにあるどこかの道路だろうなど所説あるようですが、このスラバヤ通りだと信じて聴くと、奥深い歌詞と柔らかなメロディーが深く心に染み込んできます。
 2023年10月現在、骨董品店が軒を連ねる向かい側には懐かしい佇まいの飲食店が立ち並び品の良い観光地という雰囲気を醸し出しています。かつての高級住宅を改装したのか、古き良き懐かしき歴史あるジャカルタの街並みに今時のお洒落さも加わったフュージョンエリアとして未来に向かうスラバヤ通り。皆さまもぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。(日本旅行インドネシア 水柿その子 写真も)

◇PT. JABATO INTERNATIONAL
電話 021・520・2091
メール sonoko_mizugaki@jabatojkt.com

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