バティックと着物を紹介 ソロで国際会議・展示会開く 国士舘大とUNSが共催
日本とインドネシアが共有する染織文化を発展させようと、中部ジャワ州ソロ(スラカルタ)で二、三日の両日、国士舘大と三月十一日大学(UNS)ジャワ文化研究所による日イ共催のバティック・着物国際会議・展示会が開かれた。ジャカルタで初開催された世界バティック・サミットに続き、一大生産地のソロで着物とバティックを絡めて紹介。本格的な着物を見る機会のない大学教師や学生からは、共同研究など染織文化の交流促進を望む声が上がった。
■「バティックの首都」
バティック大手バティック・スマールで二日に開かれた展示会には、ソロのジョコ・ウィドド市長やUNSジャワ文化研究所と日本インドネシア服飾文化協会(J―ICCA)の関係者、バティック・サミットも訪れた日本からのバティックツアー参加者二十三人、ソロ在住の邦人らが出席した。
「ソロはバティックの首都(中心地)」と宣伝してきたジョコ市長は、世界各地に広がり、諸説あるろうけつ染めの起源について「バティックはソロで生まれた」と高らかに宣言。日本とジャワの文化の比較研究を進め、日本との関係を深めてほしいと期待感を表明した。
会場には羽織や子ども用着物、襦袢なども展示。ステージ背景には「京の夜桜」をテーマにした世界一大きな絞り几帳を掛けた。着物について、J―ICCAの渡辺万知子理事長が、季節に合わせて着用されてきた背景や着物の種類などを説明。
ファッションショーでは、インドネシア人の男女のモデルがバティックを次々と見せた後、日本人女性たちが着物を披露、出席者の拍手喝采を浴びた。
渡辺理事長は、着物という言葉は広く知られているが、これまでインドネシアで実物を展示し、説明を行うイベントはほとんどなかったと指摘。
今回、世界バティック・サミットとソロのイベントに合わせ、バティックツアーを組み、服飾文化協会の会員や呉服店の関係者ら一般の参加者がインドネシアを訪れたが、「バティックを購入する際、『二着買うなら、最高の品質のものを一枚買ってほしい』と呼び掛けている。高品質のものが売れることで、職人もより良いものを作ろうと努力するようになる」と語った。
■服飾禁制に共通点
三日には国際会議を開催。イタリアやマレーシアなどの研究家をはじめ、ソロ王宮関係者らも参加し、バティックにおけるイスラムの価値観や王宮バティックの変容など、さまざまな視点からバティックを論じた。
着物とバティックの共通性について、国士舘大の戸津正勝教授は「世界でも、これだけ各地方ごとに多様性のある服飾はないだろう」とした上で、両者とも封建社会の身分制度の中で発達したと指摘。江戸時代、町人の間で広まった着物を貴族や武士が禁止し、一方でジャワの王宮も庶民の豪華なバティックの使用を禁じ、禁制模様を発達させてきたことを挙げた。
質疑応答では着物に関する質問が相次いだ。戸津教授は閉会後、「インドネシアの人々がこれほど着物に対して関心を持っているとは思わなかった」と語り、着物とバティックにはさまざまな共通点があり、もっと多くの人々に知ってほしいと話した。
UNS大学院でソロのバティック発展史を研究している川崎尚美さんは「バティックを通じ、日イの教育機関、研究者、市民、自治体などの交流が活発になってほしい」と語った。
二日間のイベントを共催したジャワ文化研究所と国士舘大政経学部は、交流を進める覚書に署名。同研究所のサヒッド・トゥグ・ウィドド所長は「バティックも着物とともに研究することで新たな視点が生まれる」と述べ、固定観念にとらわれず、伝統文化の研究を発展させていきたいとの意欲を示した。
日本人女性による着物とインドネシア人モデルのバティックが、同じステージで披露された