イスラム大国からバチカンへ ASEAN日本政府代表部 千葉明大使
日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)の関係強化に力を尽くし、南進する中国に目を光らせてきたASEAN日本政府代表部の千葉明ASEAN大使(63)が24日、約3年の任期を終え、帰国する。そして年明けの1月9日に渡欧してバチカン大使に就任。全世界のカトリック信徒14億人を束ねるバチカンで、全方位的な情報収集に奔走する日々が始まる。
最後の大仕事はカンボジア・プノンペンで開かれたASEANサミット。千葉氏はそこで「会場スクリーンにプレアビヒア寺院の映像を大写した議長国、カンボジアの対応にASEANの本質を感じた」という。
タイ国境に近い寺院の領有権をめぐり、カンボジアはタイと衝突。国際司法裁判所はカンボジアへの帰属を認めた。にもかかわらず、なぜタイも参加するサミットの場に寺院の映像を持ち込んだのか。議長国の対応として不思議だったが、「それは隣国から攻め込まれる経験を持つカンボジアとして、ウクライナに侵攻したロシアへの痛烈な批判でもあった」。
ミャンマー問題とロシアのウクライナ侵攻で揺れた今回のサミットは、共同声明がロシアの反対でまとまらず、議長声明という形となった。しかし、この中でカンボジアは、ロシアの軍事侵攻を「各国が認識したと明記しており、議長声明には実は重要な意味がある」という。
サミットを通じ、今ひとつ印象深かったのは、議長声明に至る過程でASEANが「本音で交渉をした」こと。はっきりロシア批判をする場面もあり、「物を言うASEANを見た」という。文言交渉で習近平国家主席の存在をにじませたい中国に抵抗するなど「(中国とASEANは)金でがんじがらめの関係とは必ずしもいえない」。
コロナ禍の影響に苦しんだ任期を総括して千葉氏は「日本の外交官にとり、東南アジアに赴任することは名誉なこと。しかもASEAN全域を見る仕事ができ、余暇ではダイビングも楽しんで充実感がある」と振り返る。
もっともコロナ禍で空路が閉ざされ、加盟各国を歩く機会は少なかった。タイ、シンガポールなどにも行ったが、印象に残るのは着任から3カ月後の2020年1月、議長国だったベトナムを視察した南北縦断の〝旅〟だったという。
「5カ国がASEANとして結束した1967年当時、ベトナムは戦争の真っ只中にあった。米中ロが支援したベトナム戦争の傷跡を見ると、ASEAN結成の背景に気づかされた」
その後、ベトナムは中越戦争を経験するが、同じ共産党という枠組みもあって中国との断交は一時期間に止め、95年には米国とも国交を回復させる。原則にこだわらず、明日をどう生きるかという選択を迫られたベトナム。それを見て明日は我が身と結束したASEAN。ベトナム視察は複雑な歴史を抱えるASEAN各国の心情を理解する一助になった。
一方、新任地となるバチカンは「14億人カトリックがピラミッド型の組織を作りその頂点に立つのがローマ教皇」(千葉氏)。イスラム大国からカトリックの総本山へ――。年明けからは国際情勢の底流を見極めながら世界展開するバチカン外交に触れ、日本外交の支える情報を集める重責を担うことになる。(長谷川周人、写真も)