期待と笑顔携え、北京へ 金杉憲治氏 駐インドネシア日本大使

 竹のようにしなり、日イ関係の信頼醸成に粘り腰で東奔西走した金杉憲治大使が5日、約3年間のインドネシア勤務を終え、離任する。新任地は北京。駐中国大使として日本の浮沈にも関わる重責を担うが、「日中関係は二国間だけの問題ではない」と言い切る金杉氏。日本に向くインドネシアの期待と笑顔を胸に刻み、次の舞台に挑む。

 約40年の外交官人生を振り返りながら、インドネシア勤務を一言で表現すれば「日本に暖かい気持ちを持ってくれる人が多く、過ごしやすい、楽しいところだった」。
 着任はコロナ第一波の最中となる2021年1月。「2週間の隔離から始まり、なかなか公邸で食事を出すこともできなかった」。恐る恐る会食をしても、翌日に出席者から陽性になったとの連絡がある。濃厚接触者となって2週間の予定はすべてキャンセル。「本当に切なかった」。
 続く第二波の到来で日本に退避する在留邦人向けの特別便をアレンジ。保健省と折衝の末に邦人向けワクチン接種を実現するなど、コロナ対応に明け暮れた。
 2年目に入るとようやく公務が動き出した。スマトラからパプアまで、相手の目を見て話す交流を〝じゅうたん爆撃〟のように続けた。20カ国・地域首脳会議(G20サミット)に向けて要人の往来も活発化した。
 今年は日イ国交樹立65周年、日ASEAN友好協力50周年にあたり、忙しい日々になった。この2年で実現する首脳会談は6回。「濃い2年を過ごせた。しかも6月には天皇皇后両陛下に来て頂いた。令和初の友好目的の外国訪問がインドネシアだったのは名誉であり、日イに前向きな推進力を与えると思う」。
 その一方、中韓勢が追い上げる中、インドネシア側から「日本の存在感が低下している」と指摘され続けた。「日本には慎重に物事を決める文化があり、インドネシアのスピード感についていくのが難しい。特にジョコウィ政権下では」。
 ならば、どうするか。インドネシアが安定した民主主義国家として持続可能な成長を続け、日本の活力に取り入れる。「これが日本にとってベストなシナリオ。それにはインドネシアと意識的に目線を合わせる努力が必要だ」と強調する。
 その具体策のひとつになり得るのが、インドネシアの経済協力開発機構(OECD)加盟に向けた支援。〝先進国クラブ〟入りには制度改革や構造改革が求められる。「日本の支援がインドネシアがもうひとつ上の舞台に立つきっかけになれば」と言い残した。
 一方、横井裕氏、垂秀夫氏といわゆるチャイナスクールが続いた中国大使への就任について金杉氏は、「勤務経験も歴史的な視野もなく、これから勉強しなければ」。ただ、日本政府が尖閣諸島を国有化した2012年当時、官邸で野田政権の首相秘書官を経験。安倍政権ではアジア大洋州局長として、どん底の日中関係が「徐々に歯車が回り出す時代」を経験した。
 2018年10月。安倍晋三首相の訪中が実現した。当時は官房副長官だった西村康稔経産相と北京に同行した金杉氏は、「天安門広場で歓迎式典があり、真っ青な空に日の丸がはためく光景に感激した」。
 日米関係を知る「韓国通」の金杉氏。インドネシアでの経験を携え、新任地の北京で日本外交の中枢に立つ。 (長谷川周人、青山桃花)

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