【じゃらんじゃらん特集】「9.30」の記憶伝える 65年共産党将校クーデター未遂 ナスティオン博物館
1965年9月30日、共産党系将校が蜂起し、陸軍将校7人を急襲したクーデター未遂「9.30事件」。閑静な高級住宅が並ぶ中央ジャカルタ・メンテンにあるナスティオン将軍の自宅は、同事件の発生現場の一つである。現在は博物館として開放され、スハルト独裁政権を生む端緒を開いた歴史的事件の記憶を伝えている。(上松亮介、写真も)
蚊が多い夜だった。次女アデは寝息を立てている。午前3時ごろ、真っ暗な家の中で人の気配がした。寝室からのぞくと、真っ赤なベレー帽に真っ赤なスカーフの男たち。手にはソ連製小銃AK―47。大統領親衛隊「TJAKRABIRAWA(チャクラビラワ)」の肩章。共産党系将校らの蜂起部隊の兵士だった。
気が付くと、銃声が耳にこだましていた。「出て来い」と叫ぶ兵士は、扉に乱射。アデは腕の中でぐったりしていた。夫ナスティオンは自宅裏の塀を越え、隣のイラク大使館に逃げ込んだ。
頼みの綱である居間の電話は、すでに切断。夫の行方を尋ねる兵士に「夫はバンドン出張で、家にいない」と答える。その時、すでに娘の体は血まみれだった。
スハルト元大統領の肝いりで、82年に制作された反共プロパガンダ映画「9.30運動の裏切り(Pengkhianatan G-30-S)」は、一夜の出来事を劇的に描く。
■忠実に再現
博物館は2008年12月、ナスティオン将軍の妻、ヨハナさん(故人)ら残された家族が「歴史的事件を後世に伝えたい」と自宅を改装し開設。蜂起部隊が発砲した小銃の弾痕や亀裂の入った木製扉、国軍の「二重機能論」が練られた執務室など、当時の備品を使って再現している。
■9.30事件
65年9月30日深夜から翌未明に発生。左派系の国軍若手将校らがスカルノ政権の陸軍将校7人を暗殺し、政権を奪取しようとしたとされる。戦略予備軍司令官だったスハルト氏が武力で鎮圧。事件後、共産党シンパとみなされた農民らが全国各地で虐殺され、被害者は数十万人に上るといわれる。一連の事件で容共路線のスカルノ大統領は事実上失脚し、スハルト政権が誕生。スハルト氏は事前にクーデター画策の動きを察知していたにもかかわらず、意図的に阻止せず、政権奪取に混乱を利用したとされている。
◇博物館情報
住所:Jl. Teuku Umar No. 40, Jakarta Pusat
入館料:無料
開館時間:午前8時―午後2時。
電話:021.314.1975
ガイド:陸軍特殊部隊や陸軍戦略予備軍の隊員が常駐し、事件当時の様子を説明してくれる。