旧前田邸で学ぶ インドネシア独立の歴史 独立宣言文起草記念博物館
1945年8月15日は日本の終戦記念日として、私たちの中に刻まれている。そして、独立記念日としてインドネシアとその国民のアイデンティティとして欠かせない日は8月17日だ。その間の日を表す「16845」という数字が掲げられる洋館は当時、日本海軍少将の邸宅だった。
中央ジャカルタのメンテン、イマン・ボンジョール通りに、白い壁がまぶしい20年代アールデコ調のオランダ式洋館がある。目の前は米国大使公邸。ここは、初代大統領となるスカルノ氏によって独立宣言書が書かれた「独立宣言文起草記念博物館」として一般に公開され、インドネシア独立前後の歴史を触れることが出来る場所だ。
海軍少将の前田精氏は、40年からジャカルタに滞在していた。その当時から、アジア解放への理想が一致したこともあり、前田氏とスカルノ氏の間には、同じアジア人としての絆があったと考えられている。
敗戦直前の日本軍から独立を迫られていたインドネシアだが、前田氏はインドネシア人の意思による独立宣言を勧め、宣言書作成の場としてスカルノ氏、副大統領となるハッタ氏、外務相となるスバルジョ氏を自宅に呼んだという。
前田氏の貢献がどれほどのものだったかは、インドネシア政府が76年に同国建国功労章(ナラリヤ勲章)を授与したことからうかがえる。
博物館1階の16日午前3時にスカルノ氏が独立宣言書を作成したという部屋の壁は、スカルノ氏の自筆で書かれた宣言書起草文が大きくプリントされている。45年8月16日、まさにこの部屋で独立宣言書が作成された。
庭に出ると、高さ2メートほどの巨大な3つの胸像が置かれており、圧倒される。書き上げた宣言書に署名したスカルノ氏、これを見守ったハッタ氏、スバルジョ氏のものだ。
庭を歩くとはしごが立てかけられた2・5メートルほどの深い穴があることに気が付く。用途など詳細の説明はないが、当時の地下避難壕が残されており、これも自由に見学できる。ただ、内部は非常に暗く、目が慣れるまではライトなしでは歩けない。
屋内に戻り、2階へ上がるとスカルノ氏の独立宣言が録音されたカセットテープや、独立を報じた当時の新聞などが貴重な資料が展示されている。
チケット売り場にいた同博物館で7年勤務しているというエンダンさんによると、「日本人の来館はまだ少ない」が、平日ならじっくりと歴史の勉強が出来る場所だ。
チケットは1人1万ルピアで、展示物の解説はインドネシア語と英語。写真撮影は自由にできる。
博物館から2キロほど、パンゲラン・ディポネゴロ通りを東に行ったところに、独立宣言記念碑公園がある。残念ながら、新型コロナウイルス感染拡大防止のため閉鎖されていたが、門の隙間からまっすぐに立つスカルノ氏とハッタ氏の銅像を見ることができた。公園が再開した際はまた訪れ、独立宣言がなされたその瞬間を想像しながら、独立記念碑の前に立ってみたいと思う。