興亡繰り返す王朝時代を巡る 続・マジャパヒト王国

 東ジャワ州、トロウランを都とし13世紀末から15世紀末頃まで繁栄したというマジャパヒト王国。西洋史でいうなら中世後期、日本史では鎌倉時代後期から室町時代後期までと同時代、マジャパヒト王国は現在のほぼインドネシア全域とマレー半島までを領土領海とする東南アジア最大の国でした。今回のおすすめ観光情報は、2020年8月1日付で考察したマジャパヒト王国を別角度からたどります。

 インドネシアの遺跡と言えば世界的に有名な中部ジャワの仏教寺院「ボロブドゥール寺院遺跡」(8世紀頃の構築)とヒンドゥー教寺院「プランバナン寺院遺跡」(8~9世紀頃の構築)が代表格です。ジャカルタ周辺にいると、オランダ植民地時代の建造物と近代的な高層ビルなどが乱立していることから、私たちのインドネシアの歴史に対する認識も8、9世紀ぐらいから数百年飛び越えてしまう感じがします。しかし、その間にもインドネシア各地では世継ぎや権力争いが行われ、国盗りの興亡を繰り返した王朝時代がありました。
 現在は「このお店には豚肉が無い」とか「運転手さんがお祈り中だから待たなくちゃ」といった私たちの日常生活は、イスラム教徒への理解と配慮が大前提になっているほど、インドネシアは世界最大のムスリムを抱える国です。けれどもマジャパヒト王国はイスラム教が広がる前の最後のヒンドゥー教の王国として繁栄し、後の統一国家インドネシアの基盤になったとも言われています。
 その繁栄の様子はかつての都トロウランに残る数々の遺跡やトロウラン博物館の貯蔵品のほか、それ以外の地域や施設でも知ることができます。そのひとつが東ジャワのプロボリンゴ県に建つジャブン寺院(Candi Jabung)。1359年には王国最盛期のハヤム・ウルック王も訪問したとされる由緒ある寺院で、シンガポールの創設者トーマス・ラッフルズ著の「The History of Java(ジャワ史)」にもこの寺院についての記述があるのだそうです。
 ラッフルズと言えば「インドネシアのラッフルズホテル」と称されるスラバヤの名門ホテルも「ホテル・マジャパヒト」。こうしたことからも東ジャワにおけるマジャパヒト王国の存在感と誇りが伺えます。
 「バティックの郷」として在留邦人にも人気の西ジャワの都市チルボンにもマジャパヒトの影響が見られます。現役の王様が住むケセプハン王宮の一般客用入場門として利用されている割れ門とそれに続く塀などです。この王宮はマジャパヒト王国だけではなく、アラビア、中国、スンダ、オランダなどの建築様式や内装を取り入れた多様性の真骨頂のような王宮としても有名で、マジャパヒト様式の塀にオランダや中国産の陶器が埋め込まれているのが印象的です。
 また、王宮の保養地として建設され、現在は公園として民間に開放されているスンヤラギ洞窟も面白い場所です。この施設ではユニークな形状で迷路のように入り組んだ洞窟内部や古い建造物を探検気分で散策することができるのですが、その中にはマジャパヒト時代に製造された赤レンガが使用されている洞窟や立派な割れ門のオリジナルが現存しています。
 マジャパヒト王国以前の寺院遺跡は安山岩や凝灰岩などの火山岩で建設されていますが、赤レンガ造りの建築はマジャパヒト王国時代に高い窯業技術が発達した証。改修で後世のレンガに置き換えられている部分を持つ遺跡もありますが、そうした箇所もチェックポイントにしながら観光するのも興味深いもの。
 コロナに負けず、安全を願いながら、「大規模社会的制限(PSBB)」を乗り切った暁には皆様もぜひマジャパヒト王国の遺跡巡りの旅にお出かけください。
(日本旅行インドネシア 水柿その子 写真も)

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