マジャパヒトの栄枯盛衰 東ジャワ州 東南アジア最大の王国
国盗り合戦と王位継承争いを繰り返していた13世紀後半のインドネシアの王朝の数々。そんな激動の時代、1293年に誕生して1473年まで続いたマジャパヒト王国。都は現在の東ジャワ州、モジョクルトのトロウランにあり、イスラム教の伝来前に存在した「インドネシア最後のヒンドゥー教の王国」として知られています。最盛期には東南アジア最大の領土を持つとして繁栄した大王国。今回のおすすめ観光情報は歴史好き、遺跡好き必見、マジャパヒト王国の栄枯盛衰を考察します。
トロウランのマジャパヒト王国時代の数々の遺跡は一般的に「モジョクルトのトロウラン遺跡群」「トロウランのマジャパヒト王国時代の遺跡群」などと呼ばれています。
赤いレンガ造りの門や寺院などの遺跡が灼熱の太陽が降り注ぐ緑色の農地の真ん中にポツンポツンと点在し、ここがかつて大王国の都だったのだと想像するのには申し分のない雰囲気です。長い時の流れの中で埋もれてしまったお宝は数知れず、現在でも畑を耕していた農民が石像などを発掘したというニュースが度々報道されています。
そうした埋蔵品を所蔵するトロウラン博物館には石像、石碑、銅製の生活用品や舶来品の陶器などマジャパヒト王国の豊かさを物語るコレクションが所せましと展示されています。それでも展示されているのは発掘物のごく一部。年代や経緯など詳細が不明な石像、細かすぎる破片などで修復が難しい陶器などがまだまだ秘蔵されているのだそうです。
専門家の研究によると、マジャパヒト王国は武器製造や軍事に関して高度な技術を持っていたとされ、この時代にすでに独自の大砲などが製造されていたそうです。また現代に伝わる「貯金箱」といえば連想される「ブタの貯金箱」はマジャパヒト王国が起源との説もあるそうで、現代の物と言っても疑わないほど可愛らしくユニークな「世界最初の!?」と推測される「ブタの貯金箱」がトロウラン博物館の展示物の目玉のひとつになっています。
マジャパヒト王国の最盛期は1350年に即位したハヤム・ウルク王時代、ガジャ・マダ宰相の凄腕ぶりによる功績とされています。その勢力はジャワ島内に留まらずスマトラ島やマレー半島にまで及び、タイ、ベトナム、カンボジアなどとも友好関係を持っていたのだそうです。
「ハヤム・ウルク」と「ガジャ・マダ」、聞き覚えはありませんか?そうです。中央ジャカルタとコタ方面を繋ぐ2本の道路。南から北へ上る「ガジャ・マダ通り」と北から南へ下る「ハヤム・ウルク通り」、背中合わせに並行して延びている道路の名前です。その昔東南アジア随一の王国という栄誉を築いた王様と宰相の二人三脚を物語るマニア的には非常に感慨深い歴史秘話・ヒストリアです。
どうぞ皆様もこれらの道を通る時には目を閉じて次の旅行の計画を立てながら華やかなマジャパヒト王国を想像してみてください。
東ジャワの玄関口、スラバヤの空港からトロウランまでは陸路で約2時間。現在新型コロナウイルス流行が拡大している中で、観光旅行はまだ時期を見ているという方も多いかもしれません。
ただ、これらの遺跡はすべて開放的な屋外にあり、今後、飛行機や列車利用のハードルが下がれば訪問しやすくなる場所です。トロウラン博物館は複製防止のため展示物の写真撮影不可ということで写真がありませんので、こちらも時期が許す時が来たならぜひ足を運び皆様ご自身の目でその展示品の数々をご鑑賞ください。(日本旅行インドネシア 水柿その子 写真も)
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