芸能の古層を紐解く 松本亮さん 40年の研究成果 「ジャワ舞踊 バリ舞踊の花をたずねて」 ワヤンや踊り、源泉に文学

 ワヤン・クリット(影絵芝居)研究の第一人者で、自らダラン(人形遣い)として創作も行ってきた松本亮氏(日本ワヤン協会主宰)がこのほど、初めて舞踊に関する著書「ジャワ舞踊 バリ舞踊の花をたずねて」(めこん)を出版した。一九六〇年代後半から四十年以上にわたり王宮や村落などを訪れ、上演される踊りの魅力に取りつかれながら、インドからジャワ、バリ、アラブへとつながる伝統芸能の古層を紐解いていく労作だ。

 本著で取り上げられているのは、ジョクジャカルタ、ソロなど中部ジャワ、チルボンやインドラマユなど西ジャワ、バリ各地の多種多様な舞踊。知人や村人を通じ、寺院で上演される舞踊や、「クダ・ルンピン」として知られる大道芸などを鑑賞する旅を続けながら、個々の芸能の魅力だけでなく、それが生まれる文化的、社会的状況も探っていく。
 「ワリライス」や「シントレン」など、ソロやジョクジャの宮廷舞踊とは異なり、あまり取り上げられることのないチルボンの踊りも詳述。仮面舞踊「トペン」では、松本氏が薫陶を受けた詩人・金子光晴氏が、シンガポールで書いた詩なども引用しながら、人々が楽しむと同時に魔除けの儀礼でもある放浪芸が披露される現場を考察する。
 ジャワとバリの芸能を結ぶものは何か。松本氏は、ジャワの遺跡に刻まれたインド古代叙事詩のラーマーヤナやマハーバーラタを素材にした壁面彫刻に、バリのワヤンの原形を見出す。そしてジャワとバリの踊りの源泉となっている十一世紀に書かれたジャワの英雄譚「パンジ物語」にたどりついたという。
 掲載写真はすべてカラー。随所に簡潔な脚注が設けられ、舞踊に熱中する筆者が流麗な文体で書き進める紀行文を楽しみながら、インドネシアの伝統芸能に関する理解も深めることができる。日本の写真グラフ誌の草分け「太陽」(平凡社)の編集を長年担当してきた松本氏が、自ら構成やレイアウトを手掛けた労作だ。
 松本氏は今年一月から二月にかけ、本で取り上げた各地の踊り手を訪れ、完成した本を手渡す旅をした。表紙をはじめ計四枚の写真を使ったソロのマンクヌゴロ王家のヌイさんにも、約三十年ぶりに再会したという。
 ワヤン研究で知られる松本氏は「『なぜ踊りの本を』と聞かれるが、元々バレエをやっていて、ワヤンだけでなく踊りもたくさん見てきた」と話す。
 戦後日本で初めて見たバレエの違和感。好奇心旺盛な文学青年だった当時、バレエやモダンダンスにも没頭した。以来、踊りへの関心は、洋の東西やジャンルを越え、アジア諸国の民俗芸能に接するようになっても持ち続けてきたという。
 妻の信子さんとともに、都市部から何時間もかかる遠隔地の村などにも足を運び、ワヤンや舞踊などの上演を追いかけてきた。「同じ場所を何回訪れても、本当に良質なものに出合うことは難しい」と語る。
 松本氏は「即興で演じられる芸能は時代とともに変わり、研究対象になりづらい」と強調する。本書をまとめるにあたり、後身の研究者のたたき台となるよう意識した。学問的な要素もある一方で、楽しみながら読める本に仕上げたという。

◇松本亮氏
 1927年、和歌山生まれ。51年、詩人の金子光晴氏と詩の雑誌を共同編集。バレエの台本や演出も手掛ける。64年以降、平凡社編集局に勤務。68年、インドネシア初訪問、ワヤンに魅せられて以来、ほぼ毎年ジャワを訪れる。74年、著書「ジャワ影絵芝居考」発表。83年、ソロのマンクヌゴロ王家に滞在し、ワヤンなどを調査。98年、インドネシア政府より文化功労勲章受章。日本やジャワで創作ワヤンも上演する。2009年、ワヤンの演目を翻訳した大著「ワヤン・ジャワ、語り集成」(上下、八幡山書房)を出版。キ・ナルトサブド氏ら巨匠ダランの即興の語りを訳出し、ジャワ語のワヤンの世界を日本文学作品として完成させた。

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