「心残りなし」 インドネシアに38年 白石康信SMEJ前会長

 全日系中小企業連合会(SMEJ)発足から15年間会長を務めた白石康信さん(80)が7日、会長を退き、今月日本に帰国する。8日、じゃかるた新聞のインタビューに応じた白石さんは38年間のインドネシア生活を振り返り、「心残りはない」と話した。日本ではインドネシア人を受け入れる事業を始める。

 白石さんがインドネシアに足を踏み入れたのは、三菱電機の駐在員として赴任した1981年。ライバルの日本家電メーカーに遅れての参入だった。「他社はどこも工場ができていた。うちは工場を借りてラインを作り、リッポーグループと組んで一気に営業支店を全国に作り、初年度から利益を上げた」と振り返る。
 当初は3年の約束だったが、「誰も日本に呼び返してくれなかった」と言い、そのままインドネシアで定年を迎える。インドネシア通貨危機とその後の混乱が続いた時だ。日系の中小企業を支えるため、SMEJを発足させる。定年後も関連企業を経営しながら現地法人7社を設立した経験から会長に就任した。
 SMEJの活動目標として白石さんは三つを掲げる。「強い中小企業を作る。インドネシアとの友好親善を深める。会員の親睦をはかり、生活を楽しむ」とすらすら話す。インドネシアに赴任する前、インドネシアについてはネガティブな情報ばかりあったという。だが、実際に付き合い、企業を経営すると全く違う面が見えて来た。
 「時間や約束を守らない、とかよく言われる。しかし、私の会社でも時間を守ることが利益につながると説明すれば会議が遅れて始まったことはないし、インドネシアの人は日本人を尊敬してくれる。そのことに感謝したい」と話す。逆に日系企業の経営者には守るべき5カ条があるといい、「本社を向いて仕事するな」などで、要はインドネシア人との信頼関係を築くことに尽きる。
 インドネシア政府に対しての提言としては、首都圏の渋滞問題の解消を挙げる。「奇数・偶数制度では解決にならない。そもそも都市の中で道路の占める面積が狭すぎる。これは政治のリーダーシップがあれば解決できる。私が大統領になれたらすぐやるのだが」と笑いながら話す。
 帰国後を尋ねると、「日本の人口減少を食い止めるためには移民しかない。日本だってかつては南米などに移民し、その国を助けて来た。長い経験を生かしてインドネシアから働く人を受け入れ、きちんと定住できるシステムを作りたい」と話す。
 趣味のゴルフについて聞くと、「一つ、心残りのことがあった。80歳になってもエージシュート(年齢以下の打数で18ホール回ること)ができない。日本に帰ってから挑戦する」。(田嶌徳弘、写真も)

◆ しらいし・やすのぶ 57年愛媛県立新居浜工業高校卒、三菱電機入社。京都製作所を経て78年、シンガポールに赴任した。81年インドネシア駐在員事務所に移り、テレビ製造工場設立。99年定年退職。04年全日系中小企業連合会(SMEJ)発足、初代から会長を務め、19年8月退任、名誉会長に。愛媛県今治市生まれ。80歳。

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