残留日本兵の生き様描く 「皇軍兵士とインドネシア独立戦争」 林英一さんが5冊目の著書刊行
一九四五年の太平洋戦争終戦後にインドネシアの独立戦争に参加した日本兵は九百人ほどだったといわれる。現在、確認されている残留日本兵はインドネシア国内に二人を残すのみとなった。戦後もインドネシアに住み続け、現地の人々との文化摩擦などに苦労しながらも、インドネシアに定着していった残留日本兵の生活がいかなるものであったのか。これまでにもラフマット小野盛さんの個人史「残留日本兵の真実」など、貴重な一次資料などを用いて、残留日本兵の実像に迫ってきた林英一さん(二七)がこのほど、五冊目となる新著「皇軍兵士とインドネシア独立戦争?ある残留日本人の生涯」(吉川弘文館)を上梓した。(高橋佳久、写真も)
本著は二〇〇七年に亡くなったインドネシア残留日本兵の代名詞「フセン」こと藤山秀雄氏の生涯を本人の備忘録をもとに残留日本兵の一代記としてまとめたものだ。藤山氏は現在も活動する残留日本兵の相互扶助組織「福祉友の会」設立の第一声を発するなど、残留日本兵自らの地位向上に努め、これまで日イ両国で多くのメディアに取り上げられてきた。
二〇〇四年に慶応大学の海外語学研修の一環として初めてインドネシアを訪れて以来、小野さんなど残留日本兵の研究を進めていた二〇〇五年三月、大学三年生だった林さんは北ジャカルタのタンジュンプリオクで当時八十三歳の藤山さんと出会った。「独特の佐賀弁で自らの数奇な生涯を語る藤山さんの語りの虜となった」と当時を回顧する。
本著の中にはこうした藤山氏の「数奇な生涯」がちりばめられる。十九歳で陸軍に志願したもののビルマで負傷し、内地帰還を命じられる。しかし、「日本に帰っても『しょうがない』」とこれを拒否し、二十二歳で中部ジャワ州ソロに派遣される。その後、血と泥まみれになりながらもインドネシア独立戦争に参加。その独立戦争に参加していたインドネシア人女性と結婚し、ムスリムとなった後も、生活難にあえぎ、日系企業を転々とした。そして、二〇〇五年に日本を訪問。これらの様子が備忘録や本人への聞き取りをもとに丹念に描かれている。
現在、林さんは「出稼ぎ」労働者として日本に定住している藤山氏の孫とも交流を深めている。その経験から、日本に出稼ぎにきた日系人は賃金面では上昇するが、高学歴にもかかわらず、社会階層の面からは下降する「矛盾した階級移動」を経験するという。林さんは「日系人として日本に住む残留日本兵の子どもたちは日本経済の単なる『調整弁』ではなく、私たちの身近にいる『他者』」と認識する必要性を説く。「それぞれのエスニック集団が背負っている歴史と記憶」を認識することはアジアで生活する上で、お互いを認識するために必要だ。
戦後世代の林さんは、これまで「英雄」もしくは「脱走兵」などの二項対立で捉えられがちだった残留日本兵の実像を、貴重な当時の資料を読み解き、当事者に実際に話を聞いた上で、詳細に書きつづっている。彼らの生き様を知ることができる希有な一冊となっている。
日本とアジアの関係について「国際関係が変わっていく中で個々人の関係をどう捉え直すのかを考えるべきだ」と考えている。高校生のころから戦争体験者の話に興味、関心を抱いていた林さん。今後はインドネシア以外の残留日本兵など、アジアの地域研究をさらに進めていく予定だ。
◇林英一(はやし・えいいち)
1984年生まれ。慶応大学大学院経済学研究科後期博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員。主な著書に「残留日本兵の真実」、「東部ジャワの日本人部隊」「Mereka yang terlupakan; Penerbit Ombak(邦題『残留日本兵の記憶』)」がある。インドネシア残留日本兵の歴史研究に関する業績が認められ、2012年に、天皇陛下の御下賜金により創設された、優秀な博士課程学生を顕彰する日本学術振興会「第2回育志賞」を受賞した。