住民に愛される仏教建築物 ボロブドゥールの謎 長岡さんが寄稿 ユネスコ・ジャカルタ事務所文化部主任

 一九九一年に世界遺産に登録される前から広く知れ渡っているボロブドゥール。しかしボロブドゥールとは一体何のために造られたのか? 実はその建造目的は未だはっきりしていない。仏陀の遺骨を納めた仏舎利として供養のため建てられたお墓、王の死後の世界を具現化した霊廟、曼荼羅を立体的に表現した建造物、仏教礼拝所、学問所、宮殿などなど、学者の間でも未だ論争が絶えない。
 ボロブドゥールはカンボジアのアンコールなどとともに、世界最大級の仏教建築物として知られる一方、その成り立ちに未だ多くの謎を秘めている。なぜ、何のために、どうしてそこに建てられたのか。これらの疑問が未だ解き明かされていない大きな理由のひとつに、その存在がおよそ一世紀にもわたり明らかになっていなかったことがあげられる。ボロブドゥールは九世紀に建立されたが、一八一四年にイギリスのジャワ総督ラッフルズによって発見されるまでのおよそ千年間、その姿は密林の土中に埋もれていた。
 ボロブドゥールを訪れる人たちは、ボロブドゥールだけを観て帰ってくる人が多い。実はボロブドゥールは一つの独立した遺跡ではなく、いくつか他の建物と共にひとつの大きな仏教遺跡の複合体をなしている。近くのパウォン遺跡やムンドゥット遺跡とボロブドゥールは、一直線上に並ぶ位置に建てられていることから、建立当時は巨大な一大仏教施設群がこの土地に存在していたと考えられている。残念ながら現在まで多くの遺跡が消失してしまったため、この巨大な仏教建造物群が本来どのような広がりをもっていたかがはっきりと分かっていないのが現状だ。
 もともとボロブドゥールは自然の丘の上に人工の盛土を築いて造られている。そのため、遺跡の石の重みによる地盤沈下や床の傾斜や隆起などにより、ボロブドゥールは一九六〇年代には崩壊の寸前にあった。このため一九七二年に、インドネシア政府とユネスコの主導による一大修復プロジェクトが始まった。この一大プロジェクトのために当時、十年の歳月と二千万ドル以上の予算が投じられた。このキャンペーンには日本をはじめ、二十七の国々から資金協力が行われ、一つの遺跡を国際協力の枠組みで救うひとつのきっかけになった。
 イスラム教徒が多い中で、なぜこの仏教建築物がこれほど多くの人に愛され保護されているのか。実はこれもよく聞く質問だ。現地ではボロブドゥールは昔話として代々親から子供に語り継がれるほど親しまれている。二〇一〇年十月二十六日に起こったムラピ山の噴火では、その後一年をかけて灰の清掃が地元の人々によって行われた。ボロブドゥール遺跡に誇りと愛着、畏敬の念を感じ、更なる仏教建築物の保護を求めているのは、その多くがイスラム教徒である。
 ボロブドウールはその遺跡だけが注目されがちだが、一転周囲に目を向けると様々な景観が目に飛び込んでくる。その周辺一帯で発見されているいくつもの仏塔の痕跡。イスラム時代から遺されている墓地や寺院。この地域に流れる清流や、田園畑が広がる緑豊かな谷。曲がりくねった農道では鴨の親子が移動し、田畑には牛を引きながら農耕に励む村人がいる。多くの村人で賑わう朝市では、近くの川で獲れた魚や作りたての豆腐が並ぶ。遠くを一望すれば、紺碧の空の下に三〇〇〇メートル級のムラピ山やメルバブ山が、マゲランの渓谷をとりまいている。これら全ての要素が一体となって、昔から変わらないこの土地特有の景観をつくっている。
 この土地全体は、先人が築いてきた文化や生活様式が色濃く反映されており、宗教や国の違いを超えて、地元住民ばかりでなく多くの人たちに受け入れられている。かけがえのない人類の歴史の一ページを有しているボロブドゥールの文化的景観全体が、文化遺産として包括的に保護され、次の世代に引き継がれなければなりません。そのために私たちができることは何でしょうか。

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