テロの傷痕を記録 ドキュメンタリー「監獄と楽園」 国際交流基金で上映会
国際交流基金ジャカルタ日本文化センターは二十日、二〇〇二年十月のバリ島爆弾テロ事件の首謀者や被害者、それぞれの家族にインタビューし、事件後を追ったドキュメンタリー映画「監獄と楽園」の上映会を開催した。テロをめぐり、新進気鋭のドキュメンタリー映画監督ダニエル・ルディ・ハリヤント氏(三二)らを囲み、活発な意見交換も行われた。
この作品は、昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で日本映画監督協会賞を受賞。ドバイ国際映画祭にも出品された。しかし、すでに処刑された死刑囚らがテロを正当化する肉声も多数収録されていることもあり、インドネシア検閲局は上映禁止処分を下した。
ダニエル監督によると、各地で非公式の上映会を行っているが、元紛争地の中部スラウェシ州ポソでは強硬派の圧力を受け、地元警察が解散させたこともあったという。
■同窓生の声を代弁
この作品の主軸となるのは、バリ島爆弾事件の実行犯の同窓生ヌル・フダ・イスマイル氏だ。実行犯と同じ中部ジャワ州ソロ近郊のプサントレン(イスラム寄宿学校)を卒業し、自身は米ワシントン・ポスト紙の記者になり爆弾事件を取材。首謀者が旧友だと分かったときのショックから、犯人やその家族、被害者たちとの対話を始めた。
本作では、ヌル氏が実行犯の子どもたちとの交流を深めている様子を中心に描写する。東ジャワからジャカルタを訪れ、警察留置場で鉄格子越しに父と面会した娘たち。「お父さんはお家に帰ってこないから、もう会いたくない」。「テロリストの子」にのしかかる重圧を軽減し、さらには報復など暴力の連鎖をいかに防ぐかといった問いを投げ掛けていく。
「警察はテロリストと近いと疑い、強硬派や市民には警察の協力者と見なされる」。一度服役した後、再びテロに向かう若者たちとの交流も進めてきたヌル氏の声には、犯人検挙だけで防犯に対する政府の無策ぶりへの批判がにじむ。
■死刑囚の素顔を活写
「監獄にぶち込まれたからといって絶望などしていない」「捕まってなければ、アンボンやポソ、ハルマヘラ(北マルク)で、もっとでかいことをやってたさ」「われわれはジハード(聖戦)に参加した殉教者になる。われわれを裁くことが正しかったのか。歴史が証明するだろう」。鉄格子の向こう側から、アリ・グフロン(ムクラス)、イマム・サムドラら死刑囚(二〇〇八年十一月処刑)の声が響く。
法廷で英雄気取りを見せ付け、「笑顔のテロリスト」と非難を浴びたムクラスの弟アムロジ死刑囚(同)は「処刑するならさっさとしてほしい」と笑みを浮かべる。
実行犯の中で唯一、テロは過ちだったと罪を認め、警察のテロ捜査に協力しているアリ・イムロン受刑者(終身刑)は「戦場でもないインドネシアでテロを行ったことは明らかに間違いだった」「テロでイスラムの印象が悪くなった」と悔恨する。
カメラは鉄格子の内側で述懐していく実行犯の表情や言葉をとらえ、同じ犯行グループメンバーでもテロやイスラムに関する見解が異なることも浮き彫りにしていく。内外のメディアが注目した法廷の証言とも異なり、親しい友人に胸のうちを明かすように説いていく。
■14時間の獄中会見
ダニエル氏は、十四時間の獄中インタビューを敢行。作品を撮り終えた後も、ヌル氏やテロ被害者、その家族たちとの交流を続けている。
「出稼ぎ労働者、テロ、汚職しかないインドネシアのイメージを変えたい」。山形の映画祭で、日本ではイスラムに関する知識が極めて乏しく、「ムスリムの男性は四人まで妻をめとれる」ことしか知られていないことを痛感した。
家族の中には、イスラム強硬派団体のイスラム青年運動(GPI)の活動家もいる。しかし「この作品で描いたように、実行犯や強硬派などの中でも暴力に対する見解はさまざまだ」と強調する。
「テロのその後を無視してはならない。インドネシアでは一九六〇年代、共産党(PKI)系将校によるクーデター未遂(九・三〇)事件で、華人や農民などシンパと疑われた市民の大量虐殺が行われた。しかし、現在まで和解は行われず、傷痕は消えていない。同じ過ちを繰り返してはならない」