【ジョコウィ物語】(20)千万首都に悪戦苦闘 支持がうなぎ登り
ジャカルタはとても難しかった。ソロ市に比べ人口は20倍の千万人。ジャボデタベック(首都圏)でみれば2300万人。農村部からジャカルタへ一極集中する流れが加速。だが、それを支えるインフラや政府機能はもろく、渋滞、洪水、過密、貧困、ごみ、清潔な水へのアクセスの難しさなどの問題が噴出した。
ジョコウィが州知事に就任した時点で対策は周回遅れだった。しかも、就任3カ月の13年1月、大洪水の洗礼を浴びた。
「川沿いに住むことは法律に違反していると、忍耐強く説得しなくてはならない」。ジョコウィは東西南北中央の各区長を集めてこう指示した。だが、プルイット洪水調整池で占拠住宅の住民と警備隊がもみ合いになり、国家人権委員会はプレマン(チンピラ)が住民を脅かした兆候を認定。早くも袋小路に迷い込んだ。
複雑怪奇な迷路の入口だった。治水の対象の川・貯水池の周りには必ず占拠住宅があった。地方から出てきた住民は低所得者層が大半で他に住む場所がなく頑強に抵抗する。住宅を移転させるための土地を探すと、そこにも占拠者。不動産登記の管理はずさんで地権を主張する人が5人もいたり、得体の知れぬ地権者が現れたりする。プレマンも介入し、住民が訴訟を起こす。こんがらがった問題が同時多発的に起きた。
■クルジャ(仕事)を一歩ずつ
ジョコウィはジャカルタの露天商移転の舞台をタナアバンに定めた。イスラム衣料品の集積地で、路上は数千の露天商が占拠。背後のプレマンが問題解決を難しくしたが、ジョコウィは再開発に絡んだ手打ちに持っていった。地回りの長老、ムハンマド・ユスフ・ムヒが「渋滞を引き起こす露天商を撤去したジョコウィに感謝している。再開発計画には完全に賛成だ」と言うほどだった。
官僚機構改革では許認可発給の一元化、町長、村長試験の透明化、試験・評価による昇進制度、調達・予算執行の電子化を導入した。その過程で「マイホームパパとは仕事をしたくない」と言明し、2年に分けて上級職46人を更迭した。この46人の一部には架空職員の給与の計上、下級職員の給与の中抜きなどの不正行為に加え、渋滞対策の肝だったトランスジャカルタ車両調達でも汚職疑惑が浮上した。
州の事業を知事がコントロールする狙いで州営企業をつくった。公共事業を受け持つジャックプロ社、バスレーン運営のトランスジャカルタ社などに加え、DKI銀行で金の流れの透明化を図った。
■巧みにメディアを利用
苦闘するジョコウィに、市民は好意的だった。支持率の高止まりには、公約通り導入した低所得者向け保健・教育カードが寄与した部分もありそうだ。
それに「ブルスカン(どぶ板)」。ジョコウィは一日に数カ所回る視察で、現場に緊張感をつくろうとした。帯同する大勢の取材陣がすぐさまテレビ、ネット、新聞でニュースを発信する。「イメージ作り」との批判も浴びるが、政治不信が強いインドネシアでは、市民が政治の動きを肌で感じられる効果が大きかったことも確かだ。
13年の半ばを過ぎると政界の大物が先を争って「金のたまご」と会いたがった。14年初め、総選挙で闘争民主党に票が集中するため、数政党が姿を消すという調査結果も出て、政界に衝撃が走る。各党は首都大洪水を材料にジョコウィたたきをはじめた。ジョコウィは「就任15カ月で洪水をなくせるわけがない」「治水は地方政府だけではできない」とジャワ人らしいえん曲的な言い回しで、中央政府を批判した。(敬称略 吉田拓史)
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