【ジョコウィ物語】(18)ソロが生んだ国民車 中央への新たな「名刺」
ジョコウィの目は製造業振興にも向いた。ソロをあげて製造業の産官学連携を模索し、研究開発、人材育成の拠点として「ソロ・テクノパーク」を2009年末に設立した。ジョコウィがかじ取りを任せた1人が旧知の実業家ガンパン・サルウォノだった。
「前市長時代にも工業振興案はあったが、産官学の話し合いがうまくいかなかった。ジョコウィが市長になると、進み始めた」とガンパンは振り返る。ガンパンは以前は事業を展開し、海外で事業をしたこともある。行政機構のなかで異色の存在だった。「こういう物事を進めるには経営者の考え方が必要だ」。ジョコウィが実業家の目線から市政を進めたことの表れだった。
だが、ガンパンは船出のときに不安を隠せなかった。28ヘクタールの敷地を分割して、順次開発する計画だったが、与えられたのは一つの建屋だけだった。「後は自分で金を集めなさいと、ジョコウィは言うんだ。民間企業の方式だった。建屋だって塗装も済んでいなかった」。
■テクノパークの効果
今ではソロテクノパークは内外の企業と協力し、人材育成を主眼に置いて運営している。9カ月の工員養成コースを設け、学生の工場実習を行う。敷地には余地があり、ジョコウィの夢は半ばだが、ガンパンはテクノパークが製造業を興すひな形になればいいと考えている。「工業は雇用を生む。貧しい農村の人々の行き先をつくれる」。
このテクノパークから全国を揺るがすものが誕生した。国立ソロ職業訓練第2高校と地元企業キアット・モーターがテクノパークと協力して開発した乗用車「キアット・エスエムカ」。2011年にジョコウィがソロ市の公用車に採用。「ソロの高校生がつくった『国民車』」とのイメージに報道がわきたった。
国民車・エスエムカは105馬力、排気量2千CC、部品の8割は国内産の多目的車(SUV)。国民車にはドイツのフォルクスワーゲン、インドネシアのライバルのマレーシアにもプロトンの例がある。インドネシアでも96年に故スハルト大統領三男トミーが韓国自動車メーカーと組んで「韓国製の国民車」ティモールを販売したが、とん挫した。
エスエムカで全国の目がソロに向き、「露店商市長」に加わる、ジョコウィの新しい名刺になった。12年2月、エスエムカのバンテン州タンゲランでの排ガス試験。ジョコウィはジャカルタのマスコミを回り、エスエムカを売り込んだ。この頃から12年7月のジャカルタ特別州知事選にジョコウィの名前が上がり始めた。
■水中溶接に秘めた野心
ガンパンはジョコウィが大統領選のさなかに打ち出した「レフォルシ・メンタル(精神革命)」が製造業振興の鍵になるとみている。「時間通りに作業を始め、勤勉に物事をこなす。精神革命は製造業にも通じる考え方だ」。
テクノパークでは水中溶接を学ぶための専用のプールや設備がある。ソロには海はなく、船舶修理の必要はなさそうだ。
ジョコウィは海洋国家を掲げている。海洋国家には水中溶接などの船舶修繕技術が必要だ。ガンパンは「ジョコウィは最初から大統領になるつもりだったのではないか。水中溶接講習がその野心の現れだ」と冗談めかして言った。(敬称略 吉田拓史)
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