【ユドヨノ政権10年】 政治の安定不可欠 経済成長、国際環境も有利に 富吉賢一氏 (ジェトロ・ジャカルタ事務所長)
ユドヨノ政権の10年で経済も着実に成長した。日本とインドネシアの経済のパイプも一層太くなった。日本貿易振興機構(ジェトロ)ジャカルタ事務所の富吉賢一所長はインドネシアの経済成長について「国際的な経済環境が有利に働いたことと、国内政治が安定した事が大きかった」と指摘した。
「ユドヨノ大統領の最大の貢献は『民主政治下の安定』という貴重な『成功体験』をこの国にもたらしたこと」と富吉氏は評価する。「アジア・アフリカ諸国はもちろん、中東の『アラブの春』でも民主化に乗り出して挫折した国は枚挙にいとまがない。10年前、インドネシアでさえ、このまま民主化が定着すると信じていた人は少なかったと思う。しかし、安定政権を維持して、世界に冠たる民主国家としてのインドネシアの評価を確立した」。経済的な成長に、政治の安定は不可欠だった、と強調した。
この10年で国際経済に甚大な影響を与えたのが2008年のリーマンショック。富吉氏は「09年、インドネシアの実質GDP成長率は4.5%で、中国、インドと共にプラス成長を維持した3大国の一角を占めた」と指摘する。
確かに、近隣のシンガポール、マレーシア、タイは09年、マイナス成長になっており、それに比べ、インドネシアは「軽症」で、落ち込みの小さい安定した成長を続けてきた。成長率の推移を見ると、「この10年では11年の6.5%をピークに、半分は6%に乗っている。期待通りの成長率を実現した」と述べた。このため、リーマンショック後、米国はダメになって、行き場を失った投資資金がインドネシアの証券市場に流入した。
■日本車の生産急拡大
富吉氏はさまざまな数字や傾向をあげた。まず、日本からの直接投資だが、11年から急増し、13年には47億ドルで各国別のトップになった。「主な理由は東日本大震災後の急速な円高です。11年10月、1ドル75円になっている。海外に出るしかない、となってトヨタ、日産、ホンダなど自動車を中心に製造業がインドネシアにどっと進出、工場の新設、拡張の増産投資をした」と説明した。トヨタの販売台数は03年の約10万台から、13年には約43万台。この10年で4.3倍になっている。インドネシアの車の生産台数もリーマンショック後の落ち込みで46万台から13年の120万台へと、4年で3倍に急増している。
ジャカルタ・ジャパンクラブの法人部会の会員数もこの10年、着実に増加している。03年度末の407社が、13年度末には557社に。近年は生保や食品など裾野が広がっていることが特徴だ。
海外から見て、アジアで投資環境がいいのはフィリピンとインドネシアという。「フィリピンは人口が約6000万人で市場規模は小さい。インドネシアの人口2億4000万人はその4倍だ。魅力だったはず」。タイは政治的な混乱、ベトナムは中国との関係、バングラディシュは政治的に不安定と問題を抱え、相対的にインドネシアが浮上した側面もあるとの見方を示した。
今年5月の世銀の発表では、インドネシアが世界の経済大国の10位(2011年時点)に入った。中国やインドと共に中所得6大国の一角を占める。「こうした経済的な評価は、ユドヨノ政権の成果です」と富吉氏は語る。
富吉氏がジャカルタに着任したのは3年前。当時、国内には大統領に対して「決められない」「何もしない」の否定的な批評が多く、富吉氏は地元有力紙の編集長からこんな話を聞いた。「現在のインドネシアはオートパイロットで上昇中の航空機であり、操縦席に座っているのがSBY(ユドヨノ氏)」
国際経済の環境がインドネシアに有利に働いた面は認めつつも、富吉氏は少し違う感想を持つ。「例えばインフラ整備が進まない、と批判されるが、国鉄のジャカルタ〜スラバヤ間のジャワ北岸線は完全複線化が完成したし、空港もメダン、マカッサル、スラバヤなど地方空港で、新ターミナルの建設が進んだ。懸案だったジャカルタのMRTも着工した。遅いかもしれないが進んでいる」という見方だ。ジョコウィ新政権にも政治の安定による経済成長という路線の継承を望んだ。(おわり)(聞き手 臼井研一、写真も)
☆関連記事
【ユドヨノ政権10年】 与党間の内紛に翻弄 劣勢の民主党再建へ シャリフディン・ハサン氏(前協同組合・中小企業国務相) (2014年10月15日)