【人と世界】公正、誠実、正確な柔道審判 ギデオン・ヤフヤさん
「柔道により肉体だけでなく精神を磨くことができる」。柔道審判員ギデオン・ヤフヤ(インドネシア柔道協会、講道館)さん(59)の声は確信に満ちている。いつでも「柔(やわら)」と印刷された黒いTシャツを身にまとい、あらゆる語彙(ごい)を駆使して柔道の素晴らしさをうたいあげる。ギデオンさんが語るときの熱さを見れば、どれだけ柔道に心酔しているのかが分かる。
それもそのはず、柔道歴は55年を数え、審判歴も36年になるからだ。審判になったのは24歳、このとき彼に審判になるのを勧めたのが、師匠と慕う故竹内善徳九段である。「ギデオンが本当に向いているのは審判じゃあないんだが、公正、誠実、正確な審判の例になってほしい」。西カリマンタン出身の華人ギデオンさんは敬愛する師匠の提案にすぐさま決断した。このときの「公正、誠実で正確な」がいまでもギデオンさんの口癖になっているのだから面白い。92年には国際柔道協会の審判資格も取り、国際試合も審判できるようになった。
恩師である竹内氏は現役時代は全日本選手権を勝ち、国際柔道連盟副会長も務めたが、06年にこの世を去っている。「竹内さんは礼節を重んじる人だった。私がお茶をくんで静かに差し出すと、『ギデオンくん、ありがとう』と私の目を見て感謝を伝えてくれた。私はとてもうれしかった」。ギデオンさんは相好を崩す。「竹内さんとイタリアで偶然会ったときも『おう、ギデオンくん、こんにちは』とあいさつをしてくれる。下の人間に対しても礼儀を守る、そういう柔道が教える大事な部分を、竹内さんは体現していたのだ」
この礼儀がインドネシアの柔道界から失われつつある、とギデオンさんは嘆いている。「先輩に対してあいさつをすることができないんだ」。そしてそれが、13年東南アジア選手権で、インドネシア柔道が金メダルをとることができなかった大きな理由だとみている。自国開催の11年選手権では男女で四つも獲得したことからみれば、大きな後退だった。「インドネシアの柔道は厳しい状況に直面しているんだ」。この話題になると、ギデオンさんの顔から笑顔が失われる。
インドネシアに初めて柔道が到来したのは、日本軍政期と言われる。日本兵に混ざって練習したインドネシア人がいたのだろうか。初めての柔道協会は講道館の創始者、嘉納治五郎氏が1949年にジャカルタを訪れ設立。学生から国軍兵士、女性まで多様な参加者を得たそうだ。「この伝統を尊敬し、礼儀を重んじる柔道をしたい」。
ギデオンさんの素顔はフリーランスのフォトグラファーだ。派手なカップル写真を撮り、出席者に配る結婚式はたくさんあり、そこでの仕事が多いそうだ。日本の地方にある商店街の趣を残す中央ジャカルタ・パサールバルのカメラ屋に足繁く通い、そこで知り合う人々にやはり柔道の素晴らしさを伝える。「柔道の伝道者」こそギデオンさんにふさわしい名前だ。(吉田拓史)