【人と世界】思い切って飛び出して サナエ・サニタ アフィアさん(71)
「結婚しよう」。日本で出会ったインドネシア人留学生だった彼からのプロポーズは突然だった。戸惑いつつも「この面白そうな国を見てやれ」とインドネシアへ飛び込んだ。それから50年。インドネシアを愛するサナエ・サニタ・アフィアさんは来月で72歳を迎える。
1942年5月、神戸で生まれ、2歳になるころ東京都練馬区へ引っ越した。3人兄妹の真ん中、大学時代は安保闘争、社会運動に参加し、自由気ままに過ごしていたと振り返る。そんな中、早稲田大学に留学生としてインドネシアから来ていたアフィアさんに出会った。共に過ごすうちに引かれ合い、68年にジャカルタでイスラム式の結婚式を挙げた。
サナエさんは舗装もされていない空港に降り立った。「会社の奥さんは外国から来た人が多かった。みんな寂しさを埋めようと支え合っていた」。近所に住むインドネシア人とも打ち解けた。貧しい暮らしでも楽しめたのは、今でも友人だという彼らが助けてくれたおかげだったという。
夫は国営ガス石油会社のプルタミナで無線に関わる仕事をしていた。それから各地を転々としながらジャカルタへ。新婚当時は貿易船などに積載されていた日本語雑誌や書籍の検閲を手伝った。共産主義関連のものやポルノを見つける仕事だったという。
アフィアさんは2007年に他界。国のために懸命に仕事をする姿を支え続けた。敬虔(けいけん)なムスリムだった長男も昨年病気で亡くなった。「自分のやりたいことを真っすぐやった人。だからさみしくない」
激動期を何度も経験してきたが、98年のスハルト政権崩壊時は葛藤もあった。日本人が次々と帰国するなか、家族とともにインドネシアに残ることを選んだ。「当時襲撃された華人を、近所の人と一緒に助け合った」。苦境に置かれた時こそ、半生を過ごしたインドネシアの人々の役に立ちたいとの思いもあった。
■一緒にやってみよう
インドネシア人と結婚した日本女性の集まり「ひまわりの会」にも参加してきた。現在はインドネシア人に日本語を教えている。訪日予定のある人や短期間で習得したい人などが多く、日本とインドネシアの交流が活発化していることを実感している。
インドネシアに来たばかりの人には「インドネシアの文化に親しみ、地元の人々とたくさん付き合ってほしい。まずはそばにいる人から」とアドバイス。文化の違いを乗り越えてきた経験から「一緒に何かやってみるのが近道。きっとその人の素晴らしさを知ることができるはず。互いを認め合うことで、自分を成長させるきっかけになると思う」。「外にはもっと面白いことが待っている。何でもいい。夢中になれること、不思議なことに目を向けてほしい」と目元にしわを寄せて笑った。(西村百合恵、写真も)