政権の座、長過ぎた
スハルト氏は心が広く、気配りが上手な人との印象がある。決断力や開発への意気込みは評価できるが、政権に長く居座り過ぎた。
1977年のMPR議員就任式で、笑顔で「おめでとう」と握手を求められた記憶が鮮明に残っている。その後は年に1回ほど顔を合わす程度だったが、スハルト氏一行とゴルフをした際、プレー後にスハルト氏が歩み寄り「ハッサンさん、お体の調子はどうですか」と気遣ってくれた。
農村出身のスハルト氏が、農村の環境を何としても改善したい気持ちは本物だったと思う。軍人たちを厚遇する代わりに強い支持を得て開発計画を押し進め、農業・工業の発展や物価の安定など多くの成果を出した。
国をまとめる手段にも長けていた。元はスカルノ氏の考えだった国是「パンチャシラ」(国家5原則)の教育を徹底したことは、スハルト氏の利口さを示す例の一つだ。
ただ、権力の中枢に長期間いると人の性格も変貌する。90年代初頭の政権末期には側近の助言さえも聞かず、市民や一般議員との関係も疎遠になった。自分の国を自分の物と思ってはいけない。反政府運動の弾圧など、正当化できない悪事を働くようになった時点で退陣するべきだった。(聞き手・宮平麻里子、写真も)
ハッサン・ラハヤさん 太平洋戦争中の元南方特別留学生。スハルト政権下の1977〜82年、開発統一党(PPP)の国民協議会(MPR)議員、82〜87年に大統領の諮問機関・最高諮問会議(DPA)委員を歴任。政権の絶頂期に政治・経済分野を担当した。