【デジタル羅針盤】会ってみないと分からない
大学の日本語学科では、ジャカルタで働く日本人にインタビューするというのがありがちな課題らしく、日本語学科の大学生から、「取材」を受けることがたまにある。
先日インタビューに来た学生は以前からフェイスブックで知り合いで、フェイスブック上では日本のビジュアル系ロックバンドについての投稿をよくしており、赤く染めた髪のビジュアル系のファンらしい写真を使用していた。
日常からタイトなズボンにブーツを履き、髪を派手に染めたような人をイメージしていたのだが、インタビュー当日に現れたのはジルバブをかぶった、フェイスブックにある写真とは似ても似つかない、おとなしそうな女の子だった。
写真は友達とふざけて撮った、いわばコスプレのようなもの。投稿内容は憧れのバンドに関するものが多いが、改めて読みなおすと確かに書き方の端々に生真面目さが感じられる。
彼女にすればだまそうとか、自分を偽ろうという意図など全くないのだろうが、フェイスブック上の情報だけで実際の彼女をイメージできる人はいないのではないかと思う。
おそらく大半の人が無意識的にソーシャルメディアでは、実際より良い(と本人が思う)自分を演出している。
友達との楽しい食事、恋人との旅行、家族に囲まれた一時。ソーシャルメディアの性質上、自分が良かったと思う出来事を投稿するのは当然だ。顔写真だってよく撮れているお気に入りのものを使うのが自然である。
「いけてる瞬間」「こうでありたいと思う自分」を積み重ねていった結果、ソーシャルメディアの投稿だけを見ると、ドラマの主人公とまではいかないまでも、実態よりも充実した生活をしているようにみえてしまう。
仕事での必要性などを意識して、意図的に自己イメージを管理している人だって多いはずだ。会ったことのない人に対して、実際と全く違う自分を演出するのも難しくないだろう。
実名制のソーシャルメディアでも、匿名のコミュニティと同じように所詮は間接的なコミュニケーションという割り切りも必要そうだ。(IkuZo!日本語・マンガ学校校長、元じゃかるた新聞記者 福田健太郎)