【人と世界 manusia dan dunia】海峡整備に四半世紀、マラッカの守り人 信条は「自然体」 多国間の潤滑油
「今どこ?」。友人からのメールには、居場所を尋ねる一文言がよく添えられている。
マラッカ・シンガポール海峡の安全航行のための整備・維持を行うマラッカ海峡協議会(東京都)の佐々木生治さん(61)はインドネシアやマレーシア、シンガポールと、海峡の海上標識の維持管理に飛び回る。海外出張は今年、120回を超えた。6月にあった次女の結婚式直前も、インドネシア側の標識点検に参加。自宅には戻らず、会場の青森に滑り込んだのは式前夜だった。新婦には日本出発前に「あまり日焼けしていると恥ずかしい」と注意されていたが、やはり顔は真っ黒になってしまった。
海上標識は色や形で通行位置や危険個所を示すブイや灯台など、インドネシア領海だけで28ある。世界有数の過密海域だが、浅瀬や暗礁が点在する。海上標識は重要な道しるべだ。佐々木さんは海洋調査などを担う建設コンサルタント会社を経て1990年から同協会に勤務、インドネシアとマレーシア政府がそれぞれ半年ごとに実施する定期点検で設標船に乗り込み、作業の監督や助言を続けてきた。
船上で点検・補修を終えたブイを海に戻し、次のブイの回収に向かうが、潮流が速いときは、潮待ちしなければ回収作業に取りかかれない場合もある。スムーズに作業を進めるには、潮流や船の速度を考えなければならない。「目的地への到着時間は船長より正確に読める」と自負するほど、海峡の様子がつかめるようになった。
同海峡は日本向け石油タンカーの8割が通る日本の生命線。多国間の利害が絡む海域で、航路整備支援は日本の国際的なプレゼンス向上につながるとの評価が多いが、本人は「国を背負っているという感覚は全くない」と言い切る。「どこの国の船でも安全に通ってほしい。1回でも事故は起こしてはならない」ということだけが願いだ。
海峡は狭いところでは幅数キロしかない。目と鼻の先にある標識に異常が発覚しても、対岸国の領海であれば、自由に作業できない。佐々木さんにとって海峡での仕事で一番もどかしいのは「国境の壁」だ。「何らかの思惑があれば各国を自由に出入りし、作業を進めることはできない」ということを身をもって感じてきた。
国境という、各国が神経質になりがちな場所での活動だが、国を越えた信頼を築いてきたことも事実。秘訣は「自然体でいること」にあるようだ。インドネシア領海での標識の異変を察知したシンガポール当局者が、まず佐々木さんに連絡してくることもある。佐々木さんの存在は、潤滑油の役割を果たしている。
大ベテランでもまれに船酔いはあり、「胃の中が空っぽになるまで吐き、こんなに辛いことはないと思うが、時間が経つとまた船に乗りたくなる」。岩手県の北上山地の出身で、成長するまで海を見たことがなかった。
海と佐々木さんを結びつけたのは「海の雄大さ」への憧れだった。海への思いは還暦を過ぎても色あせない。(道下健弘)