【デジタル羅針盤】 小さなけがの有用性
日本へ一時帰国した際に驚いたことの一つが、公園の変わり様だ。筆者が子どもの頃にはあった、さまざまな遊具が撤去され、どこか寂しげな雰囲気になっていた。
遊具の撤去はけがの危険があるためらしいが、こうした方針には、子どもはけがをしながら危険を学ぶもので、子どもから学びの機会を奪い、危険に対応する能力を失わせているとの批判の声も根強い。
人間は失敗から多くを学ぶ。一方、その失敗が致命的なものになっては元も子もない。遊具の例も子どもに危険に対する力を養わせたいという気持ちと、死亡や後遺症につながるような大けがをさせたくないという気持ちのぶつかり合いだ。
一方、子どもも含む現代人が大けがをするのは現実世界だけでなく、インターネットの世界でも同じだ。
友人に向けたつもりの発言が見知らぬ誰かの目にとまり、広められ、猛烈な批判を招く、いわゆる「炎上」の被害に遭う人は後を絶たない。
辛辣な言葉を数百、数千とぶつけられ、本名や自宅住所、電話番号までさらされては、まさにネット世界での大けがだ。
こうした炎上は、カンニングや未成年の飲酒、喫煙、飲酒運転といった自分の悪事を発言することが発端となる場合が多い。発言した人は面識のある友人以外に、見知らぬ誰かが見ている可能性を考慮していなかったのだろう。
これまで、子どもがネットでのトラブルに巻き込まれるのを防ぐ方法として、フィルタリングサービスなどがあったが、これは遊具を撤去する発想だ。だから、危険を知らないまま、大学生くらいになり、自由にネットを利用するようになると、不注意に炎上を起こしてしまう。
欧米ではマナーや常識を学びながら、理解度に応じて段階的に他のユーザーとの交流が可能になる、小学生向けのネットコミュニティがあり、日本でもバンダイナムコが同様のサービスを開始した。同社は「子どもが小さな失敗を通して成長できる場」にしたいとしている。
大人が子どもに使わせたいサービスを、子どもが喜んで使うかは別問題だが、将来的にインターネットに触れずに生きていくことが可能とは思えない以上、むやみに遠ざけるよりは建設的ではないだろうか。(IkuZo!日本語・マンガ学校校長、元じゃかるた新聞記者 福田健太郎)