【人と世界/Manusia dan Dunia】 自分のペースで歩む 満州発インドネシア行きの人生 通算で在住歴30年超の梅村正毅さん

 「自分のペースを守る」。1960年代末から4度にわたるインドネシア駐在を経て、永住を決めた梅村正毅さん(70)が心に留めている言葉だ。
 1942年5月、農林省の役人だった父が送られた満州国の首都、新京特別市(現在の吉林省長春市)で生まれた。3歳で終戦を迎え、3年かけて日本に戻った。朝鮮半島へ向かうも国境を越えられず、一路モンゴルへ。国境沿いにはソ連軍が控えており、上海まで南下して日本へ帰還した。
 道中は夜明けから日没までひたすら歩く日々。「5千キロはあったのではないか」と思い起こす。昼に休憩があったが、大人の歩くペースに追いつけず、休むことができなかった。水分補給のため、腰に付けたやかんが邪魔でしょうがなかった。
 850人の一団は、自らの意志で離脱した若者などもいたが、日本へ向かう船内で赤痢が発生したことなどもあり、横須賀港に到着した時は75人だったという。この引き揚げの経験が、「自分のペースを守って生きていく。『いい』と言われるものがあってもすぐには飛びつかない」「決断を迫られた時は苦しい方を選ぶ。人が選ばない方を選ぶ」という信念につながっている。

■資本主義の「教祖」見に
 引き揚げ後は神奈川県藤沢で暮らす。父の「これからは英語が大事」とのアドバイスもあり、小学校3年生の時から大学生までボランティアとして、大磯にあった孤児院エリザベス・サンダースホームに通った。
 岩崎弥太郎の孫である沢田美喜が、連合国軍兵士と日本人女性の間に生まれた混血孤児を受け入れるために設立した施設。高校生の時、沢田に連れられ、孤児たちが移民として渡ったブラジルを視察した。帰りに米国に寄り、ルート66を通って大陸を横断した。
 一浪後、慶応大学に入学。「資本主義の『教祖』とも言える国を見てみたい」とフルブライト奨学金を得て、スタンフォード大学に留学した。2年半の滞在中、「英語が分からず、授業をまともに受けられなかった。試験を代わりに受けてもらったこともあった」というが、上院議員だったJ・ウィリアム・フルブライトとの面談で「米国で盛んなM&A(企業の合併や吸収)に興味がある」と話すと、米国を代表するコングロマリット(複合企業)のリットン・インダストリーやテキサス・インスツルメンツなどを紹介してもらい、授業では学べない経験をした。
 日本で就職後、来日したベル電話研究所のスマイリー所長から日本電信電話公社(現在のNTTグループ)の研究所開設式典に呼ばれ、所長に米国で教えた「背くらべ」を壇上で一緒に歌ったのも良い思い出だ。

■インドネシアで独立へ
 67年に慶応大学卒業後、千代田化工建設に入社。ジャカルタを皮切りに、アブダビ、ノルウェー、イラク、タイ、ベトナムと海外を歩き渡り、約30年の会社生活で「日本にいたのは5年もなかった」。
 東カリマンタン州ボンタン駐在なども経験し、90年には、現法副社長として4度目のインドネシアに。8年間務め、98年1月に55歳で独立した。シンガポールへの異動が決まっていたが、「どうしてもいやだった」と、千代田化工の支援も受け、そのままプラントのメンテナンス会社を立ち上げた。
 「元々はブラジルに行きたかった」というが、戦前から戦時中にかけ、学術調査で何度もインドネシアに来ていた祖父の存在といった縁がある国でもあった。祖父は、梅村さんが生まれた直後、日本から満州に向け「長男出生おめでとう」との電報を打って、横浜港から4度目の調査でインドネシアへ出発。乗っていた大洋丸が米軍の魚雷を受け、命を落とした。
 独立後は、スラバヤを拠点に銅の製錬所や工場の保守を担い、従業員向けの食堂や送迎バス運行、産業廃棄物処理などを請け負う会社も設立。アジア通貨危機前後の経済が最も低迷していた時期だったが、日系のプラント・メンテナンス会社がなかったことなどから顧客を増やした。オフィス家具の販売会社も買収し、4社の社長を兼任した。昨年、70歳の誕生日を前に、持ち株会社を除き社長を退いた。西ジャワ州デポックに購入した自宅で明代夫人と引退後の生活を過ごしている。

■国籍に対する思い
 2005年には、インドネシア国籍を取得。独立した時に決めていたことだった。取得後は投票もした。「ここで会社経営するには、インドネシア国籍がある方が有利」という計算だけでなく、国籍や国家という概念に対する自分なりの思いが下敷きにある。
 「自分も満州で生まれ、そこから『追い出された』。日本が理不尽な占領をしたからだ。どうしたら人と人、国と国とは争わずに済むのか? 国際結婚が進み、血が混じり出すとけんかもしようがなくなるだろう。それをたくさんの人がやればもっと平和になる。国籍や住むところはゴルフの会員権みたいにもっと自由になっていくのではないか」(上野太郎)

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