香料諸島の旅
-
旅の幕は温泉で バンダの島々はかなたへ
戻ったアンボンで、渓流を登り滝を目指すが、シニア2人は途中でギブアップ。滝にたどり着けたのは駒谷邦子さんだけだった。 港には違法侵入で拿捕(だほ)されたタ.....
-
バンダとお別れ にわか雨とともに
火山島には崩壊寸前の要塞(ようさい)跡が二つもあるということを、「ビジット・バンダネイラ(Visit Bandaneira)」という観光情報サイトで知った。カ.....
-
往時のざわめき感じ 幾多の繁栄と衰退
オランダ東インド会社(VOC)の総督邸の一角にある建物が17世紀の末に建てられたハーモニー・クラブである。ここは、蘭印政府の文官や軍人、農園主の他に一般の地元.....
-
総督邸に走り書き 孤立無縁な場所
バンダネイラには、この島に流されていた民族独立運動家2人の名前を冠した水産大学(Hatta-Sjahrir Marine Sciences and Fishe.....
-
日本人傭兵の絵も 博物館の展示
英仏間で結ばれていたアミアンの和約が1803年に破棄され、イギリスは次々にオランダの植民地を攻略した。イギリス海軍大佐のクリストファー・コールは1810年の8.....
-
町歩きに出発 バンダネイラ
ヨーロッパの征服者が来るまでに居た元のバンダ人の子孫は、今はほとんどバンダには居ない。1621年にオランダ東インド会社(VOC)総督であったクーンが、オランダ.....
-
貴族のような生活 かつての農園主
ロンタール島からの帰り、島民の足の小舟を見かけた。ネイラ島での仕事や、買い出しの帰りであろうか。また、コラコラ船もあった。コラコラ・レースの練習をしているよう.....
-
お目当ては要塞 「ベンテン博士」とも
ネイラ島の宿は、バンダ諸島の中でこれ以上は望めないであろうホテルであったが、わが一行の島での最終日には、海洋水産大臣のイブ・スシ一行が来るので、部屋をあけて.....
-
景色が十二分に補う 寂しい要塞跡
インドネシアでの資源保護のためのサシ(Sasi)という制度について触れておきたい。これはマルク諸島で17世紀に既に始まっていた制度であり、海、川、森そして田畑.....
-
ブルーケさんを訪ねて バンダに残る農園主
ロンタール島のナツメグ農園の主であるブルーケさんはまた、農業省に協力して、ナツメグの苗をインドネシアの他の島に供給している。また、アイ島で見学した「Well .....
-
-
ナツメグの香り漂う 昔からの農園を見学
ロンタール島には明るい色の外装の新築と思しき立派な家もある。学校帰りの少年がポーズを取ってくれた。 コラコラ(Kora kora)と呼ばれるマルク諸島の伝.....
-
今もナツメグを算出 歴史に思いはせ
ナツメグの木には一年を通していつも、黄緑ないし濃緑の美しい葉が茂っている。葉が枯れて落ちると、すぐに若い葉が交替する。実は時がくると自然に果肉が半ば開いて、種.....
-
「廃虚」のまま保存
■アイ島 次に向かったのは、ルン島と同様に最初はイギリスが占拠し、後にオランダと激しく覇権を争ったアイ島(Pulau Ai)である。ナイラカ島から約5キロ東.....
-
忘れがたい記憶 後ろ髪を引かれ
ルン島の路上でオジサンたちが井戸端会議をしていた。男のおしゃべりも楽しそう。バンダ諸島の多くの男は、海が穏やかな日は漁師、時化(しけ)の時には畑で働いていると.....
-
【続・香料諸島の旅(旅編)】(6) 静かで穏やかな村 日本軍も来ていた
ルン島(Plau Run)が見えてきた。4キロ×2キロの小さな島だ。1603年にイギリスの船がバンダ諸島に向かった時、偶然の強風でルン島に吹き寄せられたことか.....
-
壮絶な人間の営み 漂う静けさ
オランダ東インド会社(VOC)のクーンは44人の捕虜の虐殺の他に、オランダと結んだ契約に従わないという理由で、当時8千~1万人いたと言われるバンダ諸島の住民の.....
-
二つの要塞 ネイラ島を歩く
ネイラ島のベルギカ要塞(ようさい)には地元の観光客と思しきいくつかのグループの人たちが来ていた。ここの歴史にどの程度興味があるのだろうか。あるいは単にこの美し.....
-
期待と一抹の不安 ネイラ島に上陸
海風にあたりたくてデッキに出る。アンボンの島影が遠ざかっていく。進路の左手にセラム島を見ながら南東に進む。白い波しぶきが描く航跡、流れる青い海と虚空とを飽きも.....
-
スピード・フェリーを選択 バンダ6島へ
事前に頼んでいた翌日のバンダ行きフェリーの予約が気になるが、朝早めに港に行けば大丈夫だというので、訪れた「町へのゲート(Pintu Kota)」から町の中心地.....
-
なぜか懐かしい 4度目のアンボン
正午に関西空港を出て、夕刻にジャカルタ着。東京から到着した今城進さんと合流し、空港近くのホテルにチェックインした。2016年のアンボン、テルナテ、ティドレへの.....
-
-
衰退の一途たどる 奴隷制と独占は廃止
バンダ諸島ネイラ島の邸宅を改装するのに農園主は大金を費やし、ネイラの町は蘭領東インドの飛び地のショーケースのようになった。農園主の有望な子息は旅行や留学目的で.....
-
奴隷制の廃止 シルバー・エイジの時代
ウィラード・A・ハンナ(1911~93年)著の「インドネシア バンダ」にバンダ諸島の1854年の人口構成が詳しく出ているので、参考までにここに掲げておきたい。.....
-
多様な人種が混在 相次ぐ自然災害
イギリスがベンクーレン(スマトラ島の西海岸)への移植に成功したことが一因ではあるが、ナツメグ、メースの価格は下落し、英国の会社にとっても密売人にとっても、この.....
-
バンダ以外で生産へ アフリカでも成功
17世紀前半にスパイス戦争でオランダに負けたイギリスは、インドに進出することにより、香料から手を引き、キャラコ(インド木綿)、絹織物、コーヒー、茶に転換して.....
-
自然災害で「倒産」 VOCも解散
バンダからのナツメグの輸出は、当時の価格で10億ギルダーを超えるものであったが、誰も真正なバランスシートを作成しようとはしていなかった。オランダ東インド会社(.....
-
衰退する香料貿易 VOCの経済破綻
農園主は、火山の爆発、地震、津波、嵐などで被害を受けた時には、オランダ東インド会社(VOC)に借入を依頼するのみならず、既存の負債の減免を頼まざるを得なかった.....
-
【続・香料諸島の旅(歴史編)】(25) 良い時代が続いた 17世紀のバンダ諸島
17世紀のバンダは、オランダ東インド会社(VOC)、農園主、奴隷、そして新しく生まれた混血児たちにとって良い時代であった。1633~38年の間、バンダに住みV.....
-
【続・香料諸島の旅(歴史編)】㉔ マンハッタンと交換 英蘭がバンダ・ルン島と
バンダ諸島の歴史の中で、大変興味深い逸話の一つが、ルン島とアメリカのマンハッタン島の交換である。オランダがそれまで支配していたアメリカのマンハッタン島をイギリ.....
-
寄せ集めの農園主ら バンダ諸島に定着
オランダ東インド会社(VOC)とバンダ諸島の新しい農園主の関係はいつもとげだらけで、厄介なものであった。それでも1627年までには、68の農園では始めの頃より.....
-
移住民がナツメグ生産 VOCが新システム導入
オランダが大多数のバンダ住民を殺りくし、一部の住民は別の島に逃亡したため、クーンはバンダで手にしたものは、ほとんど働き手のいない非生産的な島であることを知り、.....