【火焔樹】 「運良く」という言葉
20数年も前の話になるが、東ジャカルタのプロマスにある銀行で銀行員と話していたら、インドネシア人の性格の話をしてくれた。
彼曰く、ベチャと車が事故を起こしてベチャの客がけがをした時、日本人だったら「けがをしてしまった。大変だ」と、その後の処置以外に、なぜ事故が起こったのかなどの原因究明や対策までを行わなければならない。しかし、インドネシア人だったら、「運良く、足を折っただけですんだ(untung cuma patah kaki)」と胸をなで下ろすと笑った。
今年1月17日から1週間にわたりジャカルタを襲った洪水が甚大な被害を出した時、それでまたこの「untung」という言葉を思い出した。6年前の大洪水の際、テレビの放映でこの言葉を聞いたのだった。その時は、私の家も24時間にわたり浸水し、前後の道路の浸水が1週間、電気は10日間通じなかった。
でも、テレビでは、家が2メートルも浸水して家具が冠水しているのに、そこのご主人は、「運良く私の家具は全部チークだから、乾かせばそのまままた使える」と言っている。何と強いメンタリティー。1階が浸水したら、「運良く私の家は2階建てだから、2階に住めるわ」なんて言ってるおばさんがいる。
そんな国柄だから、国やジャカルタ州も次の洪水が起こった時のための対策をきちんと考えるということが、ほとんどないように思える。私は22年間同じ家に住んでいるが、家の前の2メートル程の幅のどぶ川のヘドロは一度だってとってくれたことがない。ジャカルタ中の汚い川のごみやヘドロをそうじするだけで、浸水被害が少なからず減るだろうことは、誰の目にも明々白々なのに。
もっともっとみんなが憤って、行政が動くことで浸水被害を減らしてくれたら、と思う。でも、のど元過ぎれば熱さを忘れる。またまた、朗らかに「Tidak apa, apa(何でもない)」と過ごしてきたジャカルタだが、新しいジョコウィ知事が結果を出してくれることを願うばかりである。(ゲストハウス経営・平井邦子)