帰国後再挑戦で初合格 ウィディさん来月就労開始 EPA看護師受け入れ事業 未整備な制度、官民で補う 「『懸け橋』悲しませない」

 日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士受け入れ事業で、国家試験に合格できずに一旦は帰国したが、再訪日して今年初めの試験に合格したウィディヤンティ・ジュリアルさん(32、通称ウィディ)が18日に日本へ出発する。国家試験の合格率の低迷は続き、候補者の多くが帰国する中、帰国後の再挑戦で日本の正式な看護師となるのはウィディさんが初めてだ。(関口潤、写真も)

 2008年、同年に始まった事業の第1陣として日本に渡ったウィディさん。当初はまったく日本語がしゃべれなかったが、就労先の愛知県名古屋市の聖霊病院では「『困ったときは何でも聞いて』と皆が言ってくれて、優しい人たちに囲まれていた」。日本人看護師と同じ勤務体系で働きながら、退勤後に国家試験の勉強を続けた。滞在期限が切れる前の11年の試験は合格点まであと一歩。それまでの努力を思い返すと、日本で看護師になる夢は諦められなかった。
 同年8月に帰国。東日本大震災の発生から間もない時期で、親は再度日本へ行くことに反対したが、「子どものころから日本に対する憧れがあった」とウィディさんの再挑戦への気持ちは変わらなかった。来月から偕行会(愛知県名古屋市)の名古屋共立病院で一般病棟の看護師として働き始めるウィディさんは「技術が進んでいる日本で良い看護師になってインドネシアに帰ってきたい」と力を込めた。

■制度上可能でも‥
 帰国した元看護師・介護福祉士候補者たちが国家試験を受験するのは制度上自由。だが、渡航・滞在費の負担は重く、日本から離れた状態で試験に向けた環境を維持するのも難しい。
 さらに、受験申請には日本の収入印紙が必要だったり、ビザの取得では、試験間近にならないと発行されない受験票が必要であったりするなど、硬直化した制度が再挑戦への意欲を削ぎかねない状況となっている。
 そんな中、慰労会に出席した福祉友の会のヘル・サントソ衛藤発起人会長は、元候補者たちが帰国した後も日本への強い思いを持ち続けていることを知った。福祉友の会が中心となって運営する「ミエ学園」が、意欲が高かったウィディさんら3人を支援することを決定。渡航のビザ取得手続きや試験勉強のための環境整備などに奔走した。
 日本側では偕行会が協力。偕行会は「病院の労働力は不足しており、少子化で今後は一層厳しくなる。将来的には外国から人材を求める時代が確実に来るが、そのときに準備を始めるのでは遅い」(川原真・偕行会専務補佐)との考えから外国人看護師の受け入れ体制を整える方針を持っており、3人の滞在時の費用や国家試験の教師、住居や食事などを提供した。厚生労働省や外務省、在インドネシア日本大使館の各担当者も、初めてのケースに対して試行錯誤を繰り返し、無事ウィディさんが働き始めることができるようになった。
 海外産業人材育成協会(HIDA)在籍時から看護師候補者の支援を続ける日本能率協会の大谷秀昭さんは「当初は海外から働き手が来るということで拒否感もあったが、彼らが各地で頑張り、日本でのインドネシアのイメージが良くなった」と語る。生産現場の人間関係が中心になる製造業の研修生と違い、看護師・介護士候補者たちは地域の人が利用する病院や施設で日本社会に溶け込んだ。
 すでに09年に第2陣として日本に渡った元候補者たちも帰国し始めており、インドネシアにいる元候補者は100人以上いるが、今月締切を迎える来年の国家試験に申し込んだのは約10人にとどまる。一度帰国してからの再挑戦の壁は高いが、「両国の懸け橋になっている人たちを悲しませてはいけない」と大谷さん。今後もミエ学園や偕行会をはじめとする関係者は、帰国した元候補者たちの再挑戦を支援しながら、両国政府に制度の改正を求めていく考えだ。

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