建国の父「国家英雄」に スカルノ、ハッタを認定 ユドヨノ大統領 「汚名を返上」
ユドヨノ大統領は7日、10日の「英雄の日」を控え、国家と民族に生涯を捧げた人物として、故スカルノ初代大統領と故ハッタ同副大統領を国家英雄に認定すると発表した。オランダ植民地時代から民族主義運動を推し進め、インドネシア独立を宣言した建国の父を改めてたたえ、スハルト政権下で着せられた汚名を晴らす時がきたと強調した。
7日、中央ジャカルタの大統領宮殿であった授与式には、スカルノ、ハッタ両一族が出席。ユドヨノ大統領がスカルノ氏の長男グントゥル・スカルノプトラ氏、ハッタ氏の長女ムティア・ハッタ氏にそれぞれ英雄認定の勲章を授与した。
ユドヨノ大統領は、オランダ植民地支配を糾弾し、その後の独立運動につながった1929年12月の法廷陳述「インドネシアは告発する」や、45年6月1日の国是「パンチャシラ」の草案を挙げ、「インドネシアのナショナリズム形成、民族団結に貢献した」と評価。植民地支配から脱却し第3世界の自立を目指した55年のアジア・アフリカ会議などを主導した功績をたたえた。
また、スカルノ氏失脚のきっかけとなった65年の共産党系将校クーデター未遂(9.30)事件に言及。「新秩序(スハルト政権)当時、スカルノ氏は9.30事件などと関係付けられ、汚名を着せられたが、既にこうした見方はなくなった」と強調。「いかなる指導者も国家のために最善を尽くしてきた。民族の団結、調和、前進のために善良なる意志を持っていた」と指導者の先達をたたえた。
授与式には、ユドヨノ大統領と犬猿の仲といわれるスカルノ氏の長女メガワティ元大統領や、スカルノ氏夫人のラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ氏の娘カリナ氏らも出席。メガワティ氏は、父の英雄認定を「遅すぎた」としながらも「父とともに独立戦争を戦った者にとって幸せな日だ」と話した。
国家英雄は社会省が歴史学者らと協議し、民族運動や独立戦争に貢献した人物などに認定してきた。近年、スハルト氏(2008年死去)やアブドゥルラフマン・ワヒド氏(09年死去)ら歴代大統領の名前も挙がっているが、独裁体制を敷いたスハルト氏の功罪をめぐり賛否が噴出してきた。
インドネシア大元講師(社会学)のタムリン・アマル・タマゴラ氏は、じゃかるた新聞に対し、「今回社会省は学者と協議せずに認定した」と批判。以前からスハルト氏への英雄認定を目指す勢力があると指摘し、スカルノ、ハッタ両氏の認定をスハルト氏認定への布石にするという政治的思惑があると分析。「スカルノ氏を英雄の1人とみなすのではなく、別格の建国の父としてとしてたたえるべきだ」と語った。
◇スカルノ
1901年6月6日東ジャワ州スラバヤ生まれ。26年バンドン高等工業学校(現バンドン工科大)卒業。オランダ支配下の27年、インドネシア国民党(PNI)を結成し、独立と民族統一を訴え独立戦争を戦った。45年にインドネシア独立を宣言し、初代大統領に就任。50年代末からは大統領権限拡大のため「指導される民主主主義」を掲げた。65年共産党(PKI)系将校によるクーデター未遂の9.30事件を機に事実上失脚。その後、PKI粛清を率いたスハルト氏による新政権が誕生した。晩年は西ジャワ州ボゴールで軟禁状態のまま過ごし、70年死去した。
◇モハマッド・ハッタ
1902年8月12日西スマトラ州ブキットティンギ生まれ。スカルノ氏とインドネシアの民族主義運動、独立運動を主導。45年同氏と独立宣言に署名した後、初代副大統領に選ばれた。