リップスティック効果
今月中旬にインドネシア中銀が発表した10月の消費者信頼感指数は前月に引き続き低下、約2年振りの低水準となった。同指数は消費センチメントの推移を表す指標で、全国18の都市に住む約4600世帯を対象とした毎月のアンケート調査によりつくられている。これまで自動車など耐久消費財の販売が伸び悩む中でも、同指数は比較的強い水準を保ってきたが、ここへきて消費者心理にもやや陰りが見えてきたということになろう。
この指数はいくつかの分類で内訳が示されているのだが、半年後の見通しを示す期待指数と足下の状況を示す現況指数の分類では、現況指数の低下幅が大きくなっており、先行きへの期待感は維持しつつも足下のセンチメントは悪化という傾向が見て取れる。また、センチメントに影響を与える個別要因の中では、特に雇用に対する信頼感が大きく低下しているのが目を引く。
一方、消費動向を供給者側から見た小売売上高指数を見ると、コロナ後の強い回復を見せた2022年以降はやや鈍化傾向ながら、直近1年間では平均すると3%程度の伸びを維持している。ただこの指数も内訳を見てみると、自動車燃料や食料・飲料・タバコといった項目の伸びが高くなっており(裏を返すとそれ以外の品目の伸びは低め)、消費全体では成長を維持していても、その中身については生活必需品の比率が高まってきていることが見てとれる。
最近、インドネシア国内のエコノミストが、足下の消費動向を「リップスティック効果」として説明する記事を目にした。リップスティック効果は、景気低迷期に人々が高価商品の購入を諦める代わりに、値頃感のあるぜいたく品である口紅のような商品に、より多くのお金を使うようになる現象を指す。高価なコンサートチケットが即座に売り切れたり、新モデルのスマートフォンに予約が殺到したりするのはその現れ、との見立てだ。
伝統的な経済学でも、代替財という考え方で似たような消費行動の変化が説明されてきたが(例えばバターの代わりにマーガリンを購入)、このリップスティック効果が想定するのは満足感に着目した代替消費行動なので、その範囲を特定することもできないし、効果の測定も難しい。ただ、EコマースやSNSに接する時間が増えた今の状況では、さまざまな値頃感のあるぜいたく品に出会う機会も圧倒的に増えてきている、というようなこともあるかもしれない。
ビジネスの現場にいる身としては、今のような消費動向が一時的なものなのか、長く続くものなのかは、簡単では無いが重要な問いだろう。ひとつ言えることは、インドネシアの家計債務が、少なくとも統計上はGDPの16%程度と、最近話題になっているタイの8〜9割という水準と比べるとかなり低いことだ。つまりひとたびトレンドが変われば、購買力の回復も相対的に早くなる可能性がある。先行きを見通すのは難しいが、ひょっとするとリップスティック効果も消費全体にとっては健全な調整局面と見ることができるかもしれない。(三菱UFJ銀行ジャカルタ支店長 中島和重)