ノー・ランディング・シナリオ
ドルの政策金利が引き下げモードに入ってから約1ヶ月、米国では大方の予想を上回って雇用の底堅さを示す統計が出てきている。今月初に発表された直近の雇用統計では、失業率が4・1%と雇用悪化トレンドの修正と思わせるに十分な低下幅となった。もうひとつの主要指標である非農業部門雇用者数も約半年振りの強い上昇を示した。
この統計発表を受けて、ドルの利下げペースは思ったよりもスローダウンするとの見方が一気に広まり、為替市場でもドル高の流れができた。先週のインドネシア中銀による政策金利据え置きも、この流れに影響を受けての決定と見て良いだろう。
米国の金融政策について、もともと市場参加者や政策当局が想定していたシナリオは、高金利でインフレが抑制され、これにより景気減速・雇用悪化が引き起こされるが、政策金利引き下げにより雇用悪化ペースは緩和する、というものだ。このプロセスがスムーズに進むのが「ソフト・ランディング・シナリオ」、利下げが遅れて急激な雇用悪化が起きてしまうのが「ハード・ランディング・シナリオ」と呼ばれ、市場参加者もこの2つをメイン・シナリオとして想定してきたところがある。
ただ、足下の強い雇用統計が出て以降、「ノー・ランディング・シナリオ」、つまりそもそも景気は減速せず、インフレは再燃し、利下げの余地はなくなる、という第3のシナリオが話題に登るようになった。このシナリオ、エコノミストの間では懐疑的な見方も多い。景気循環論の立場から、そもそも景気はどこかでは減速するものであって、一見してノー・ランディングのように見えても、その後にはむしろハード・ランディングが待っている、といったような見方だ。
ただいずれにせよコロナ期以降の米国経済は、さまざまな指標が予想を上回って景気の強い方向に出る、ということが繰り返し起きており、その分経済の力強さを再認識しておく必要があるということかもしれない。
なぜ米国経済だけが強いのか、との問いは至るところで聞かれるが、ひとつ米国経済を特徴づける要素は大規模な移民の流入であろう。特にバイデン政権になってからは、大幅な移民流入が進み、昨年1年間では不法移民も加えると330万人もの純流入数となった。これはトランプ政権時代の3〜4倍に相当するペースだ。
移民流入の増加は、コロナ後の需給ギャップ解消、インフレ抑制に貢献した面もあるが、一方で経済全体の潜在成長率を引き上げる効果があったことも指摘される。新たな労働力の供給が新たな潜在需要を喚起し、また新たな労働力は新たな消費者にもなる、という循環で成長率が高まるという図式だ。
来月5日に迫った米大統領選で再びトランプ政権が誕生するとなると、この移民流入の経済効果にも大きな影響が出てくるかもしれない(同氏は1000万人規模で不法移民を強制送還させると主張している)。急激かつ大規模な移民制限はインフレ再燃の芽となり、潜在成長率を引き下げるかもしれない。
ルピアを含め各国通貨の為替レートや政策金利が、米国経済に大きく左右される今の状況は、それぞれの国の金融当局にとっては難易度の高い政策運営が続くことを意味する。当面は来月初の米国の大統領選と10月分の雇用統計が今後の方向性を見極める上での注目点となろう。(三菱UFJ銀行ジャカルタ支店長 中島和重)